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江戸の繁盛しぐさ こうして江戸っ子になった/越川禮子

江戸の繁盛しぐさ―イキな暮らしの智恵袋 (日経ビジネス人文庫)

数年前、朝日夕刊のマリオン欄に江戸のマナー「江戸しぐさ」に関するコラムが出ており、興味深く読んでいた。公共広告機構のCMにもなっていて、わりあい最近まで流れていたはずだ。

著者はマーケティングコンサルタント会社の経営者らしいが、「江戸の良さを見なおす会」の芝三光(しば・みつあきら)氏に教えを請い、江戸しぐさの詳細について聞き書きしたものだそうである。著者には老人が豊かに生きる社会についての著作もあるらしく、その辺で江戸しぐさに共感したものらしい。

マリオンには「肩引き」「傘かしげ」「こぶし腰浮かせ」等の江戸しぐさについてが書かれていたが、これらはあくまで型に過ぎず、その奧にあるマナーの精神が「江戸しぐさ」なのだそうだ。江戸の大店商家の道徳だったらしい「江戸しぐさ」は、共倒れを防ぎ、共生するための知恵でもあるそうだが、これを突き詰めていくと今時の談合につながりそうな気もする(笑)。今日の弱肉強食的な自由競争とは反対側にある精神なのだろう。

「ひとを見たら仏の化身と思え」という謙虚さ、他人の異なる意見を尊重する尊異、プライバシーを問わない「三脱の教え」は先入観より己の目利きを大事にせよという教訓、子供は大人の席に侍らせることで、大人のマナーを自然に身につけさせたことなど、古き良き価値観が匂い立ってくるようである。

「江戸に住んで三代目でなければ江戸っ子とは言えない」などと言うが、江戸っ子に生まれるのではなく、江戸しぐさの精神を身につけることで江戸っ子になったのだそうで、そのためには三代を経る必要があると言うことらしい。このことから言うと、江戸っ子を自慢し、田舎者を「どこの在(ぜぃ)から出てきやがったんだい!」などという台詞で蔑視する自称江戸っ子などは偽物のはずだ。

大体が「いなかっぺい」という言葉は、「井の中の蛙」の蔑称である「井蛙っぺい(せいあっぺい)」から出たそうで、視野の狭隘な世間知らずの謂いらしい。江戸しぐさを知らない地方出身者がいれば却って親切にしなければならず、それが出来ないのは江戸っ子ではないと言うことになる。

ちょっとしたしぐさや目の動きで意思を伝え合うことが出来るかを問われるのも「江戸しぐさ」で、これが秘密結社のように現代まで連綿と伝えられてきたらしいが、謙譲の精神の団体なので、文字にすることをはばかってきたそうだ。このあたりも何か特殊なスリルを感じさせる。

江戸には講(座)と呼ばれるコミュニティがあり、ここで江戸しぐさが物を言ったということだが、思い出すのは熊本の「花連」である。江戸時代の大名家から始まる園芸サークルには栽培の秘伝があり、それをマスコミが取材しようとしても頑として拒否していたそうで、似たものを感じさせる。

江戸しぐさ」の踏み絵としての「初物を愛で、ご祝儀相場をつける」「(調子に)乗り過ぎても声援する」「新人、新顔を歓迎する」「新しい物に好奇の目を向け、真っ先に取り込む」「ものごとを陽に解釈する」などの精神はベンチャーに通じるものがありそうだ。奥床しく、楽観的で、いたずらに他者を排斥しない、このあたりに「江戸しぐさ」の真髄があるのだろう。著者の手紙に対する芝氏の返信などは、折り目正しくて洒脱で、この精神の真骨頂である。ただ、そこには、儒教の精神にも通じるような窮屈な管理主義も見て取れるような気がするが、どうだろう。

江戸しぐさについて
http://www.int-s.jp/html/edoshigusa.html