本・花・鳥(ほん・か・どり)

本とか植物とか野鳥とか音楽とか

ボローニャ紀行/井上ひさし 

ボローニャというと、ミートソース(ボロネーズ)と絵本で有名な町というイメージしかなかったが、街全体がいかに人と文化を大事にしているか、手放しで褒めちぎっているようなボローニャ紹介の探訪記である。

戦中はファシズムナチスに抗したレジスタンスの拠点だったようで、戦後は左派勢力が権力を握ってきたようだ(赤レンガで出来た美しい街であることから、左派支配を皮肉って「赤いボローニャ」と呼ばれる)。そのせいか、古いものを福祉や文化(演劇・映画・音楽など)が充実しているように思われ、そのことが文化都市としての町の発展に寄与してきたようだ。

例えば、「チネテカ」という映像文化センターがあるが、文化大革命に賛意を表して共産党を除名された公務員が、暇にあかせて好きな映画の上映会をしていて古いフィルムの修復を手がけるようになり、その技術が知れ渡って、ハリウッドからも修復の依頼が来るようになったということだ。こういう試みを支援するのが会社組合(社会的協同組合)制度で、有志の人間に自治体や地元企業などが資金援助をし、税金なども事業が軌道に乗るまで免除してくれるそうだ。自治体ぐるみでベンチャー支援をしているような気がする。

精密機械でも有名な町らしい。ひとつの会社から独立するとき、丸っきり同じタイプの機械は手がけないことになっているそうで、同業ながら多分野の企業が増えていく仕掛けにもなっているようだが、こういったことから、江戸の同業組合を連想した。「座」や「講」と言う様な集まりは、共存共栄を謳歌しながら新顔を歓迎したということで(「江戸の繁盛しぐさ こうして江戸っ子になった/越川禮子」) 、どちらも成熟した市民社会ということかもしれない。

ところで、井上ひさし反戦・平和・護憲を訴えてきた左派文化人と思しい。そして氏の夫人は、亡くなった作家・エッセイスト・ロシア語通訳の米原万理の妹であり、この姉妹の父親が日本共産党からチェコに派遣されていた当時に米原万理がロシア語を学んだことを考えると、井上ひさしボローニャ贔屓は左派由来なのかも、と思ったりする。

ただ、井上ひさしが高校生の頃になったカナダ人修道士の所属する聖ドミニコ会の本部があるのがボローニャだそうで、修道士が願いつつ叶わなかったボローニャ詣でを代わりに敢行したという経緯もあるそうだ。

左派勢力が権力を握ってきたから、古い酒袋に新しい酒を盛り、文化や福祉を大事にして美しい街を守ってきたわけだが、右派勢力が政柄を取ると経済成長優先になり、福祉よりは競争が重視され、文化などは二の次にされてしまうという(日本でもありそうな話だ)。

ボローニャは左派文化人から見てのユートピアという感じがするが、世界同時不況後の日本にはボローニャ方式が有効な処方箋のような気もする。単行本では小B6判くらいの小体な装丁でこれも何かボローニャを体現しているようで可愛いらしかった。