本・花・鳥(ほん・か・どり)

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襲名

人間国宝桂米朝の子息である桂小米朝米團治を襲名した披露興行の模様をNHK−BSで放送していた。

米朝を始め、一門のざこばや南光(枝雀の弟子)、桂春團治、東京から三遊亭圓歌柳家花禄、林家こぶ平(誰が正蔵などと呼ぶものか(笑))が居並び、祇園芸妓舞妓によるパフォーマンス「手打ち」が華やかさを盛り上げていたが、華やかな軽みを特徴とする米團治の襲名披露らしい楽しさだ。

名人の二代目であることは、常に父親と比較されるのだから大変なことだろう。花禄、正蔵とも己の大変さを引き合いに出していたが、小さんはともかく、三平−こぶ平親子はちょっと違うんではないかと思う。

昭和の爆笑王と呼ばれた三平は、あれはあれでひとつの芸だろうが、息子が引き継ぐべき芸道ではない。こぶ平にしても、七光りで使われてきた、善人ぶりっこのいじめられキャラタレントに過ぎない。名人の父を持つ苦労を語るなど口幅ったいというものだ(笑)。

物議を醸している姉もそうで、この一家は三平の遺産で芸能活動をしているとしか思えない。50才近い女が「父を題材にした舞台が…」「父の名を継ぐ襲名披露が…」と公衆の面前で泣き言を並べていたが、プロデューサーを自称しているお前の拠り所は父親しかないのかと言いたくなる(多分、実際にそうなのだろう)。あのスキャンダルがすべて計算ずくだったら大したものだと思うが・・・(笑)。

閑話休題、名人の父を持つ息子の苦労である。襲名披露では、父の得意ネタである「百年目」を演じていた。テンポの早さが気になったが、間合いと節回しが米朝にそっくりなのがおかしかった(父親の方がもっとオーバーにもっと上品に笑いを取れると思うが)。良く出来た3/4スケールモデルと言った感じだったが、これは致し方なく、常に比較されながら己の芸風を確立していくしかないのだろう。

師匠の芸風が端正な割りに、枝雀、ざこば、南光のような破天荒な弟子が出てくるのもこの一門の面白いところだ。吉朝米團治あたりが一門の正統の芸風なのかもしれないが、「華やか」「端正」「軽やか」だけではない、現代性が出てくれば面白いなぁ。

そういえば、落語好きの評論家か何かが米團治の襲名について「理が勝ちすぎて今ひとつ面白みがないが、大丈夫、父親もそうだったのだから」というようなことを書いていたと思う。そうか、米朝もかつてはあんな風だったのかと興味深かった。

(襲名を含めて)落語家ブームやら、ドラマ「ちりとてちん」やら、繁盛亭やら、落語界には追い風が吹いている(ように見える)。ブームはいつか去るが、忘れ去られないものが残れば御の字だと思う。落語は「古典」芸能じゃないと息巻く落語家がいるが、喜劇的な要素を含む一人芝居という構成は現代でも十分に通用するし、多少の歴史的情緒も味わえるのだから、何とお得な芸能だろう(笑)。

余談だが、父親の米朝は大正14年生まれの83才である。そろそろ介護が必要らしいし、全体の佇まいが年寄りじみてきて声にも張りがなくなってきているが、襲名披露の場で先代米團治のエピソードを披露して笑いを取っていた。人間国宝はまだまだ大丈夫かなぁ(笑)。