ヴェルヌの「八十日間世界一周」が話題となった時代、自分は七十五日間で世界一周してみせると豪語し、1889年、実際に実行してみせた女性記者と時代背景を克明に描写したノンフィクション。
本書の主な登場人物は二人で、先に登場するのはネリー・ブライ。ペンシルヴェニア出身、子供の頃に父と死別し、シングルマザーに育てられた彼女は独立心強く快活で負けず嫌いの女性である。
ペンで身を立てようとニューヨークにやってきたネリー・ブライは、ワールド紙の潜入記者として巨悪を暴く暴露記事をヒットさせてきた。そしてワールド紙の発行部数が頭打ちになった時、目玉企画として、ネリー・ブライの七十五日間世界一周がぶちあげられるのだった。
これに便乗しようとしたのがコスモポリタン誌で、ネリーの出発後すぐに所属の女性記者エリザベス・ビズランドをネリーと反対に西回りの世界一周に送り出す。果たして二人の競争はどちらが勝つのか?当人たちの思惑とは別のところで世間の注目を集め、ネリー・ブライ・レースは一大イベントに発展していく。
もう一人の主要人物エリザベス・ビズランドは没落した南部の上流家庭の育ちで、しとやかで教養あふれる美女だが、ネリー同様、男社会の当時のジャーナリスト業界にあって、自立的な女性記者として頭角を現しており、この点で二人は共通している。世界一周レースに駆り出されたのも結局は会社のPRのためであり、男社会に利用されたとも言えそうだ。
競争の行方も気になるが、競争終了後に二人がたどった人生も興味深い。一躍有名人となったネリーは熱狂的に迎え入れられ、もはや一記者ではいられなくなったが、あっという間に忘れ去られたかと思うと、高齢の金持ちと結婚して事業を継承し、発展させたかと思うと破産したり、まことに波瀾万丈の人生である。エリザベスに対して敵愾心を抱いていたネリーだが、ともに五十代で死亡し、同じ墓地で数十メートルのところに葬られているらしいから、よほど縁が深いのだろう。
男社会の荒波にもまれつつ、独立心強く生き続けた二人の女性が魅力的である。ただし、時代背景やその他の人物まで、ここまで克明に書き入れる必要があっただろうか。面白くはあるが600ページ近い大冊になっている。まぁ、脇役もピューリツァーとかヴェルヌとかラフカディオ・ハーンとか、そうそうたる人たちではあるけれど。
「八十日間世界一周」が書かれた当時、交通機関の高速化で地球は狭くなったという認識がベースになっているが、本書では当時の通信やビジネスのスピード化にも言及していて、これは現代の比喩であろう。グローバル化は産業革命と共にヴィクトリア期に始まったのかもしれない。
そして、イギリスおよびイギリス人について、世界へのどこへでも進出し、英国通貨と英語ががどこでも通用していると描写するが、これも現代アメリカの比喩だろうかなぁ。アメリカを出来るの悪い弟扱いするイギリスに対し猛烈に反発するネリーと、イギリスを精神的な先祖と考える、南部育ちのエリザベスの対比も面白い。