本・花・鳥(ほん・か・どり)

本とか植物とか野鳥とか音楽とか

ドキュメンタリーでの演技

被災地を撮ったドキュメンタリー「ガレキとラジオ」に演出があったことについて新聞の特集を読んだ。被災地ではラジオが重要な役割を果たしたというテーマのドキュメンタリーで、電波の入らない地域の住民にラジカセに耳を傾けさせて撮影したそうだ。

ヤラセか演出かという問題はドキュメンタリー映画の草創期から付いてまわっていると著名ドキュメンタリー作家の弁で、だからこそ作家はそのことに自覚的であるべきとしている。

ドキュメンタリーにおける編集やBGMや後付けのナレーションはすべて演出であろうが、映像作品であるからそういう演出があるのは当たり前である。そして、ドキュメンタリー作家という以上、作家性がなくては成り立たないであろう。

ただし素材自体に嘘があってはいけないんじゃないかな。真実を切り取って作家というフィルターを通すのがドキュメンタリーだと思っている。

このことは写真にも言えそうで、過剰な演出を施す写真家の番組を見たことがあるが(薄氷をレンズの前にかざして光を分解させるとか、カワガラスを餌でおびき寄せて水中の写真を撮るとか)、ああいうのを自然写真と言っていいのかと思った。自然写真を名乗るなら、被写体に加工するのは避けて欲しいものだ。一番美しい瞬間を切り取るための演出はカメラになされるべきかと。