本・花・鳥(ほん・か・どり)

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野の鳥は野に 評伝・中西悟堂/小林照幸

中西悟堂については日本野鳥の会創始者であるくらいしか知らず、野鳥好きとしてはどんな人物か興味があり、評伝があったので読んでみた。


中西悟堂は、僧侶の修行をした後に木食生活を経た詩人、思想家でもあり、なかなか多才な人であったようだ。鳥や自然を愛し、「野鳥」や「探鳥」という言葉を作り、初の探鳥会を催した人でもある。その人柄がひとを呼ぶのか、幅広い人脈があったようで、昭和九年に須走で行われた初の探鳥会には柳田国男北原白秋金田一春彦らも参加していた由。


自然保護の思想を広める過程で追随者が現れ、野鳥の会結成に至る。戦争をはさんで戦後に活動を再開するが、手弁当の活動であり、財政的にも大変だったようだ。そこに鳥好きの財界人が協力を申し出て野鳥の会を財団法人化、各方面から寄付を募り、日本最大の自然保護団体として歩み始めたということだ。


霞網猟や空気銃への反対運動は当初政治家には響かなかったようだが、持ち前のエネルギーでついに禁止を勝ち取ったりしている。

ただ、カリスマとして野鳥の会を代表していた一方、若い職員から民主化への突き上げがあったりして、悟堂の信奉者との間に内紛が起こり、悟堂が野鳥の会を退会するということもあったらしい。ひとが集まると何かと争いが付きまとうのは野鳥界でも同じか。


自然保護思想を一番に体現していた悟堂はスピリチュアルにも傾いていた感じがあり、そういう面も含めて魅力的な人柄、かつ行動力でもあったのだろう。


斯界の先達が開拓した道があったからこそ、遥か弱輩の自分が現在楽しんでいる趣味があるのだなぁと思ったことである。