本・花・鳥(ほん・か・どり)

本とか植物とか野鳥とか音楽とか

即興詩人/アンデルセン 文語訳/森鴎外 口語訳/安野光雅

子供のころ、児童向けの翻訳を何度も再読したものだが、長じてからは岩波文庫森鴎外訳か大畑末吉訳しか選択肢がなく、どちらも読む気にならなかった。美文の文語体で綴られる鴎外訳はそれだけでもう一個の作品と思われるくらいに美しい日本語らしいが、とても近づけたものではなく、敷居が高すぎる。逆に大畑末吉は、「スイスのロビンソン」の訳があまりにも幼児向け感がありすぎ、こちらも食わず嫌いのまま手を出せずにいたものだ。

しかるに、若年の頃から鴎外訳の即興詩人に親しんできて大ファンだという安野光雅が、古色ゆかしい鴎外版の口語訳を試みたというのが本書である。「母上」「○○の君」と言った用語はそのままに、読みやすい現代文を心がけた上で、出来れば鴎外版にも進んで欲しいというのが安野光雅の思いである。では鴎外版の現代文への移植が成功しているとか問われれば、どうなんだろうかと思う。語彙に格調高さは残るものの、すらすら読める現代文では、あの擬古文独特の風合いは薄れると思うのだ。だが、子供の頃に親しんだ物語を再読できたのは大いなる喜びである。

物語は、ローマに住む貧しい子供の波乱万丈の人生と魂の彷徨を描いた成長小説である。アンデルセンの自伝的要素も含まれているらしい。

貧しくはあるものの、優しい母とつましく暮らしているアントニオは、幼少の頃より想像力豊かで美しい芸術に感動するような少年で、母親は聖職者にしようと考えていたようだ。しかし、不慮の事故で母親が命を落とすと、物乞いをしている叔父に拉致されたり、そこから逃げ出したり、とアントニオの身の上に突如転変が訪れる。ようやく落ち着いた養い先で偶然に貴族の知遇を得て上流の屋敷に出入りしたり(そのお嬢様をフランチェスカの君と呼んだりするあたりに格調高さが漂う)、神学校に通わせて貰えるたりする。

しかし、神学校の教師が思いきり否定する「神曲/ダンテ」に却って魅惑され、むくむくと詩人の魂がもたげて来てしまったアントニオは、同じように神曲に魅了されている型破りの熱血漢ベルナルドと友情を結ぶことになるが、ベルナルドが熱中する清楚で美しい歌劇女優アヌンツィアタにアントニオもまた恋心を寄せてしまい、親友同士が決闘する始末に。そしてアントニオは出奔、山賊に拉致されたり、即興詩人としてナポリの舞台に立ったり、恩義のある貴族から絶縁を言い渡されたりと、波乱の青春を経験することになるのだった。

言わば、恋と友情と冒険と芸術家の魂を描く青春小説である。最後には幸福になるようなかなりご都合主義の展開ではああるし、恩義を受けている貴族に感謝しながらも、哀れみを受けている劣等感を並べてみたり、結構アントニオの方も勝手な奴だが、だからこそその不完全さが人間らしく思える。アントニオの人生において重要な役割を果たす4〜5人の女性はそれぞれに魅力的で、聖母への信仰厚いアントニオにしてみれば、それぞれが聖母を投影しているのかもと思う。貴族の令嬢フランチェスカの君の娘で幼い頃からアントニオに親しんだフラミーニアの君は生まれたときから修道院に入ることが決まっており、その別れなどは何とも切ない。

ローマやナポリの風物を情緒豊かに描いており、そのあたりも人気の秘密だろうか。自伝的要素があると言うことで、今度はアンデルセン自伝が読んでみたくなった。