茨城在住の俳人・関悦史さんは昨年の震災で家が壊れるなどの被災をされたが、ツイッターで関さんと交遊のある御中虫さん(おなかむし=凄い俳号だ(笑))が、「震災句集/長谷川櫂」に反発し、ツイッターにて一晩で書き上げた連作125句が「関揺れる」である。
http://d.hatena.ne.jp/hirunemushi/20120224/p1
このほど邑書林より緊急出版もされた。
すべての句に「関揺れる」「関が揺れて」などが入っていて、「関揺れる」が季語なのであるが、要するに震災によって生じたあれこれをすべて「関揺れる」に収斂させてしまった力業だ。
句の内容は、不条理とギャグと感傷が渾然一体となっていて、かつて愛読した椎名誠やかんべむさしのSFを思い起こさせるパワーがある。以下、特に気に入ったものを抜粋。
関揺れる人のかたちを崩さずに
関揺れて揺れて揺れて「揺れた」と言ひ
日本人代表として関揺れる
茨城に関といふ人あり揺れる
笑顔など見たくもないと関揺れる
我々は忘れない関揺れしこと
透明な光の中で関揺れる
関揺れて安定剤一錠落とす
暴動の起きない国を関が揺らす
関悦史氏ご本人については実はよく存じ上げないが、何か人の好い、茫洋とした男性が震災でおろおろしている様子が彷彿とされる。
震災後、「言葉の力」「音楽の力」「アートの力」など、表現者たちが妙に力みかえっている様に違和感を覚えた。確かにとてつもない悲劇をもたらした大災害ではあったが、卑近な言い方をすればプレートが跳ね返ったという物理現象である。「自然は凄いことをする」と、建物に乗っかったフェリーをオブジェにすべきと力説する美術家とか、そこに意味を見いださなければ気が済まない人たちって何なのよ、と思ったものである。また、「被災地をアートの力で元気に」という思い上がりも嫌だった。
翻って本句集については、震災にインスパイアされていることは同じにしても、そこに「被災地をアートの力で元気に」的な自己満足や思い上がりのが魅力なのかな、と考える。一見「ふざけている」と受け取る読者がいるかもしれないが、作者は道化を演じているのだろうし、道化は常に笑いと悲しみの紙一重だ。
かなりアヴァンギャルドな表現ではあると思う。しかし、伝統を保守しているだけでは新しい表現は生まれない。有季定型は俳句の基本だし、ルールを学ぶことで遊びは面白くなるのだが、ルールに縛られすぎる俳句原理主義者には共感できない。
畏敬する俳優・放浪芸研究家の小沢昭一は「正調を抜けた出た者のみが次の正調になる」と著書の一節で述べているが、「関揺れる」という季語を据え、「俳諧味=滑稽」を漂わせる本作は正に俳句の本道を通りつつ新たな表現を模索していると思うのだ。
また、長谷川櫂の「震災句集」はいかにも俳句的な情緒を漂わせているが、自分は元々この俳人の作品も、或いは新聞の投句欄での選句も面白いとは思わない。俳句とは無機物を詠み込んで表面に現れない情緒を漂わすべきだと思うのに、ご当地演歌みたいな情緒ではなぁ・・・。
下記はこの連作の作者、御中虫さんのブログからの引用だ。被災者によっては何を言っているのかと思う方があるかもしれないが、自分はこの創作態度を断固支持したい(自分の支持は蟷螂の斧ほどにも役に立たないけれど・・・)。因みに「虫」とは御中虫さんの一人称と思われる。
【関揺れる】
これが 虫の 震災125句の 季語となってゐます。
なぜか。
虫は
被災者ではありません。
虫の近しいひとたちもほゞ全員被災者ではありません。
虫はテレビを普段見ません。
新聞もとってない。
ラジオもない。
およそ 世間のニュースからかけ離れたところに虫のいとなみは地味にある。
普段見ないテレビも少しは見た。
ニュースなども見た。
心はもちろん痛んだ。
…
…
でもね。
虫は被災してないし、被災者の友人知人もほぼいないし、つまり、これは、ただの、かなしいニュースのひとつ。
冷たいと思うかな。
別に思ってくれてかまわなひ。
虫は我が身のこととして 東日本大震災を ひきうけられはしない人格の持ち主である。
た
だ
し
関悦史さんという被災者がゐた。
関さんとはたった二度ではあるけれどもリアルにお会いして、またふだんツイッターでの彼の知性とユーモアと機転、人柄などなどにはとっても魅力を感じてゐるし、虫がつらいときにツイッターでとおくからやさしいこえをかけてくださることもしばしばあり。個人的には親しみを感じてゐるのね、先方はどうだかわかんないけどww
そんな 関さんが被災者であるということは虫にとっては大事件であり、しかもいまだに関さんのゐる地方がしばしば(けふも)揺れてゐる、ということ、関さんの「揺れた」といふわづか三文字のツイートにもこころが動揺すること、これは、紛れもない事実なのです。
云わば虫は関悦史の「揺れツイート」を通じてのみ、この震災に向き合ってゐる。それ以外は、ない。
なので、【関揺れる】といふ【東日本震災忌】に代替する季語を自分でつくる必要がありました。
「被災地をアートの力で元気に」的な思い上がりとは無縁な、何とも気持ちよい宣言ではないでしょうか。