本・花・鳥(ほん・か・どり)

本とか植物とか野鳥とか音楽とか

世界屠畜紀行/内澤旬子

角川文庫新刊。

皮革製本を趣味(仕事?)とするイラストルポライターの著者が、なぜ皮革と食肉の仕事は差別されるのかという疑問から、日本を始め、韓国、バリ、インド、チェコ、沖縄、アメリカ、あるいは動物福祉(人権のように「動物の権利」を主張するようだ)という考え方などを訪ね歩き、世界の屠畜事情を詳細なイラストで綴ったルポ。

雑誌「部落解放」に連載されたもののようで、差別された現状を声高に叫ぶのかと思いきやさにあらず、動物が好きでなおかつ肉を食べるのも好きという著者はユーモラスかつ興味津々に屠畜場面を描き出している。

動物愛護運動の観点から糾弾されることもある屠畜であるが、日本のように被差別の対象とされてきたのは少数を除いて珍しいようだ。東京の食肉を賄う東京食肉市場の取材では、現在も中傷が寄せられていることを報告しているが(資料館のようなところに張り出してあるらしい)、被差別部落出身者以外の職員もいるようで、単に生業の一つに過ぎないんだなぁという印象を受けた(ただし、危険を伴う過酷な職場のようではあり、名人技が生きる職人の世界でもあった)。

なぜ屠畜が差別されるのか、ということに対して、著者は仏教の殺生戒に基づくのだろうと推測している。確かに、漁師や猟師など、殺生を生業とする者たちは長い間仏教から排除されてきて、自分たちは地獄に落ちるしかないと思うしかなかったこの者たちに「誰でも極楽往生できる」と説いたのが浄土真宗ではある。しかし、「死と血に対する穢れ意識」は仏教より古い日本の精神風土にもあったのではないかと思うのだが・・・。

魚をさばくとか、鳥を絞めるとか言うときにさほどの嫌悪意識は働かない。魚類や鳥類や人間の属するほ乳類よりも遠いし、大きさも小さいからだろうか。しかし豚や牛や馬のように大動物の解体はおそらく人間を意識させるのではないか。だから嫌悪感が生じるのだと愚考するのである。

本書を読みたかったのも非農耕民の世界への興味からだ。「屠畜という仕事のおもしろさをイラスト入りで視覚に訴えるように伝えることで、多くの人が持つ忌避感を少しでも軽減したかった。」「僭越ながらそれができる人間は日本にそう多くはいまい。イラストが描けるとか、長期取材や海外取材ができる(どっちも私よりも上手な人はたくさんいます)とか、そういうことではない。屠畜という営みを心から、たぶん当事者以外ではだれよりも愛しているからだ。」こういう心意気が、普段、人が目を背けようとする周縁の世界を垣間見させてくれる。

ただ、「〜なんである」「〜するんである」が頻出する文体は昭和軽薄体の流れのように思えてちょっと古くさいような・・・(笑)。