僕はどんな夢を抱かなかったかは院生俳人(一部的には有名)のブログだが、野の蝶をみな懐中にかくしけり 宇多喜代子というエントリーに下記のような一節がある。
宇多さんの俳句の印象として、
女性俳句史のうえに位置づけたとき、
「全然色気のない女性」をやった
珍しい人だという(これは超賛辞のつもり)
確かな場所にいると感じていた。
元々、俳句の原則を知ったのが小林恭二ブロデュースの句会録「俳句という遊び」「俳句という愉しみ」だったので、小林恭二の俳句観に影響されている部分が多い。小林は「色気たっぷり女性俳句」を「甘え句」としていたように記憶している。
橋本多佳子とか鈴木真砂女とか杉田久女あたりが自分の知っている色気たっぷり女性俳人である。この人たちもそれぞれ短詩詩人として優れているとは思うが、即物を詠んで抒情を感じさせる短詩が俳句と考えているので、「恋愛」「女性性」「身体性」「エロス」などを詠み込んだ俳句は受け付けられない。
と言うわけで、このエントリーには大いに共感するのである。