本・花・鳥(ほん・か・どり)

本とか植物とか野鳥とか音楽とか

王道の樹/小前亮

三国志の後、司馬懿の建てた晋の弱体化し始めた五胡十六国時代、てい(低からにんべんを除いた字)族の秦の皇族苻堅は戦乱で犠牲になる民の不幸を嘆き、中華のすべての民が平和で豊かに暮らせる国作りを志す。そして、劣悪な皇帝を倒して自分が即位すると、在野の賢者である漢人の王猛(弊衣破帽、傲岸狷介だが、苻堅の意気に感じて臣従する)を招いて軍師兼宰相とすると、二人三脚で国内を整備し、交易を盛んにして国力を富ませていく。

理想家の苻堅に対し、現実的で冷酷な手段も弄する王猛のコンビは、当初は順調に権力を行使する。が、己の理想に酔い、降伏した敵を重用したり、自らのてい族よりも他部族を優遇したり、仁や徳を施すことに夢中になる苻堅に王猛は危うさを覚え始める。
 
王猛の死後、苻堅は理想と現実を履き違え、精神の安定を欠いたまま東晋との戦いに突入し、大敗北の後に這々の体で逃げ帰ることになるが、この不安定な理想家であることが苻堅の魅力なのだろう。単に器量の大きな名君だったら宮城谷作品と変わらず、数多ある中国歴史物との差別化が図れなかったのではないかと思う。また、敵方の東晋の謝玄、桓石虔と言った、若い武将たちのキャラクターも引き立っており、こういう配し方は師匠の田中芳樹譲りなのかもしれない。著者の李世民のように完璧な主人公ではないが、だからこそ別の面白さもある歴史小説である。