本・花・鳥(ほん・か・どり)

本とか植物とか野鳥とか音楽とか

芭蕉めざめる/光田和伸

松尾芭蕉幕府隠密説を真面目に考えている芭蕉研究者はいない(らしい)。しかし、芭蕉研究者を自認する著者がこれを真面目に検証しているのが本書である。おそらく芭蕉の生涯が謎に満ちているためこのような仮想学説が登場したのだろう。著者は現在までに確認されているデータを引用し、足りない部分を推理で埋めながら隠密説を立証しようとするのである。

芭蕉の母は宇和島の産、桃地氏の娘と言った情報から、母の出自を伊賀の藤堂新七郎家(芭蕉の主筋でもある)に見立てたあたりは、推理小説の解決篇を読むようで、実にスリリングで面白い。

その後、なぜ江戸に出た芭蕉俳諧師として売り出せたのか、なぜ弟子に幕府と密接につながる関係者や、譜代藩の重鎮やらがいるのか、というあたり軸にしながら、「奥の細道」と曽良随行日記に見られる矛盾を丹念に突いていくのであるが、資料を自説に都合よく解釈していると思われることが多く、やや説得力に欠く。日本文学史研究において、自分の着想を世に問おうとしたとき、どのくらいまで実証しなければならないのか門外漢なのでよく分からない。しかし、著者の解釈は状況証拠に過ぎず、ほかの解釈も許されるものだろう。おそらくすべての歴史研究において資料が揃っていることはありえなかろうから、裁判における「状況証拠の積み重ねで有罪を立証」のような緻密な作業が必要とされるんじゃないかと思っているが・・・。

本書では芭蕉の心境の変化をたどり、「奥の細道」において芭蕉の軽み(かろみと読みたい)が完成されたとしている。自分は機知や滑稽を多用しすぎた俳句をあまり好まず、だから「奥の細道」の句もすべてが良いとは思えないのだが、とにかく絶賛しているのだ。しかし、末尾の、「芭蕉の完成に比べたら隠密であったかどうかなどどうでもいいことだ」という結びは、ここまで読者を引っ張ってきておいてあんまりじゃないだろうか(笑)。

自分は、中世の放浪民(非定住、非農耕の民)ミーハーだが、連歌師俳諧師の類もこの範疇になるだろう。連歌(ルールが複雑でそこが面白い)は有力武士の教養であったし、各地の戦国武将にとって連歌師俳諧師は重要な情報源であったろうし(密室で座を持てるのだからなおさらだ)、その辺から隠密説が起こってきたのだろうと思う。「奥の細道」紀行の当時、幕府と伊達藩とはちょっときな臭くなっていたそうだから、多少は後で事情を聞かれるとかはあったかもしれないと思うが・・・。

まぁしかし、歴史読み物としては大変に面白かった。