本・花・鳥(ほん・か・どり)

本とか植物とか野鳥とか音楽とか

病床の本

id:hebakudanさんの病みつきボイスの最後の録音に下記のような一節がある。

家から2冊だけ持って来ている本は、ヒルティの『眠られぬ夜のために』と、セネカの『人生の短さについて』。今日は無理をしてでもこれを少し読みたいと思っていたが、夕方から頭痛がひどくて本のページを開くだけのことが絶望的に難しい。


呉智英は「本には、知る本と味わう本の二種類がある」と書いているが、味わう本とは楽しみのために読む本であり、自分の場合、歴史や周縁や方言など興味のある分野の一部の「知る本」を除いて読むのはほとんど「味わう本」である。

広範な知識と読書ジャンルにおいて自分など足元にも及ばなかった屁爆弾さんは、哲学と日本文学にも造詣が深くておられたように思う。自分は特に哲学書というものにはついに接する機会がなく来てしまった。戦前の旧制高校生にとって「出家とその弟子(倉田百)」三)」「三太郎の日記(阿部次郎)」「善の研究西田幾多郎)」は三大必読書であったと北杜夫が書いているが、どれも未読だ([出家とその弟子」は、中学の図書館にあったので借りてみたがすぐに放擲)。

ヒルティの「眠られぬ夜のために」は、「あまりにも難しくて退屈するので、不眠の夜に読むと眠くなる」という手垢のついた冗談をいろいろな作家が書いているが、そのような、自分にとっては難解そうな本を最後の病床の友としておられたのだ。本を愛した屁爆弾さんが最後に手元に置いた本(「ページを開くだけのことが絶望的に難しい」という部分が切ない)に、いつかは挑戦してみたいと思う。

一年とちょっと前、読む気にならない作家たちというエントリーhttp://d.hatena.ne.jp/suijun/20090415/1239796734を掲載したが、自分の読まない作家(日本文学において代表的な作家たち)の7割が屁爆弾さんの好みであることが分かり、かなり盛り上がったコメントを頂いた。自分は耽美的で自己陶酔がちの作家の態度が苦手だし、屁爆弾さんはそこに深みを感じたから、日本文学にも通じておられたのだろう。

思い出すだに、こういう対話も楽しかったなぁ・・・。

眠られぬ夜のために〈第1部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第1部〉 (岩波文庫)

生の短さについて 他2篇 (岩波文庫)

生の短さについて 他2篇 (岩波文庫)