本・花・鳥(ほん・か・どり)

本とか植物とか野鳥とか音楽とか

泣き虫弱虫諸葛孔明  第弐部 /酒見賢一

正史三国志三国演義における矛盾に無茶なツッコミを入れつつ、劉備がいかにリーダーとしての資質を欠いているか、宇宙的変質者の孔明が魏呉を相手にいかなるいかさまマジックを使うかをスラップスティックに綴った三国志外伝の第二弾である。今回は荊州の一隅に仮寓する劉備軍団が、曹操に追われ、夏口へ落ち延びていくまでをドタバタと描いている。

ここでの劉備は、義に篤く仁慈の心が深い自分(と思い込んでいる)に酔うお調子者で、戦略や長期的な見通しはなく、幾度のもの危機は魔性の勘で生き延びてきた武将失格な奴である。関羽は春秋左伝原理主義者の戦闘マシン、帳飛は凶悪な殺人鬼。このどうしようもない低劣軍団を何とかするべく三顧の礼で迎え入れられた諸葛孔明は、自己を過大評価している、おそらく頭脳優秀なのではあろうがアブナイ軍師だ。

孔明は、荊州牧(名目は知事のようなものであろうが、領主っぽい)の劉表を倒して荊州を乗っ取ることを献策しているが(軍師としては一応まともな策に見える)、仁義ぶりっ子の劉備は頑として聞かない。これがこの後劉備軍団と新野の民をどん底に叩き落とし、地獄の逃避行が始まるのだった(笑)。

ツッコミ・まぜっかえし・寄り道たっぷりの、戯作のような書きっぷりだが、おそらく著者自身が感じている無理矛盾をあぶり出したものなのだろう。物語の中に自己の考察を延々と混ぜ込む司馬遼太郎的手法を感じるが、もしや三国志と司馬作品と、両方のパロディででもあるのだろうか。

巻末で孔明は呉との共闘を画策しているが、呉にとっては実に迷惑な話に思われる。因みに呉の武将たちはなぜか「仁義なき戦い」の口調で話す極道軍団だ(笑)。