本・花・鳥(ほん・か・どり)

本とか植物とか野鳥とか音楽とか

九つの、物語/橋本紡 

主人公のゆきなは、親が外遊中のため古い家に一人で暮らす女子大生である。本好きだった兄の遺品である蔵書を引っ張り出しては読んでおり、それぞれの章に「蒲団/田山花袋」「山椒魚井伏鱒二」「コネティカットのひょこひょこおじさんサリンジャー」などのタイトルが振られ、それをモチーフとして主人公の心の悲しみが投影されていく。書名も登場人物も明らかにサリンジャーの模倣だ。

ゆきなの二才違いの兄は、二年前に増水した川に流されて亡くなっているのだが、ゆきなが一人でいる家に普通に現れる。幽霊というよりそのまま実在している感じだ。

おっとりとして内向的なゆきなに対し、兄の禎文は容姿が良く、プレイボーイで飄々として減らず口叩きで料理上手で、そして優しい。禎文の事故死の原因の一端はゆきなにもあるのだが、それを記憶から抹殺し、心が壊れかけているゆきなが心配でたまらず、蘇ってきたのである。当初、ゆきなは料理上手の兄と楽しく暮らしているが、記憶が戻ると一気に抑鬱となり、食事も摂れなくなってしまう。そして兄が差し出すスプーンからのみ食べられるという異様な光景に胸打たれる。食の場面は小説において時折重要なポイントとなることがあり、本書はまさにその典型の気がする。この場面だけでも読む価値があると思う。

繊細な女子大生が語り手となり異様な状況に出くわすという点で、新井素子作品を思わせるが、書き手は男性らしく(生別のまぎらわしい名前だ!)、そうすると「かくあらまほしい」という願望が形を取った女性像という気もする(笑)。

ライトノベル出身の作家だそうだが、この壊れやすい登場人物像は若者に大いに受け入れられるだろうと思う。 ウィキペディアの一節「人の感情描写が巧く、人と人の交流を優しく描いた切なく哀しい雰囲気が特徴であるが、時として残酷な文章に読み手は惹かれてゆく。」という解説がよく分かる。