特定の宗派は信仰していないが、歴史ミーハーとしては宗教という行為に感興を覚えてしまう。
父方は禅宗(元々は曹洞宗だが、軽薄な父がついノリで某臨済宗名刹の塔頭の檀家になってしまった(笑))、母方は日蓮宗なので、浄土宗の仏事というのは昨年の叔父の葬儀が初めてで、ご詠歌や念仏(何回ナンマンダブをやらされたことか(笑))など、それなりに興味深くはあった。
念仏を唱えれば極楽に往生できると説く念仏信仰はやはり庶民の仏教であるためか、葬儀においても、分かりやすい説法を読経より大事にしているように思える。内容の分からない経典をただ読み上げても何の功徳になるのか分からないし、その点では説法というのは意味があると思う(感じ入るかどうかは別として)。
そして今回のハイライトは百万遍だった。何人もが輪を作り、大きな数珠を次々に回していくこの行為は、念仏を共有することで百万回南無阿弥陀仏を唱えたことになるという方便だが、僧侶が唱える南無阿弥陀仏に合わせてこれをぐるぐる回すのは結構ハードで、後で軽い筋肉痛になった。
篤い信仰があれば、念仏に合わせオンビートのグルーヴで叩かれる木魚や鉦と言った打楽器(ラテン音楽でも似たようなパーカッションがあろう)、皆で念仏を唱えながら数珠を回す行為などによって、宗教的感動を共有することが出来るだろうなと思う。自分は無信心なので、中世から伝わる宗教行為を興味深く体験させて貰ったという感じ。
あの世は信じていないが、出来ることなら叔父と叔母が巡り会っていればいいなとはつい思う。