本・花・鳥(ほん・か・どり)

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商人(あきんど)/ねじめ正一

江戸の味に合う鰹節を作り出し、現金掛け値なしの店売りの商法も編み出した伊勢屋にんべん三代目伊之助の山あり谷ありの人生と奮闘を、店の盛衰とともに描いた時代小説である。

父親が一代で起こした伊勢屋は、大名家にも出入するような大店だったが、父の死後、若くして店を継いだ兄、大事な仕事を任されるようになった伊之助共に経験が浅く、商売敵に出入先を横取りされたりして徐々に店は凋落して行く。それでも何とか頑張り、経験を積んで一人前の商人に育ってきた兄弟だが、兄は愛妻に死なれて落胆、精神を病み、伊之助が実質的に店を切り盛りすることになる。

鰹節の流通は大阪の鰹座が握っており、製造業者との直取引は出来ないことになっている。それが面白くない伊之助は、江戸に近い伊豆に製造場を整備し、付き合いのある紀州の業者天泊屋(天泊屋の三男惣三郎もいいキャラだ)から職人を借り受け、江戸の好みに合う鰹節を作り出そうとする。大口の納入先よりも、庶民相手の店売りを大事にようとしたのである。流通から製造業に進出したにんべんは当時のベンチャー企業であろう。伊之助の新商法に対して古手の番頭などは「店の格が落ちる」と言わんばかりの顔をしているが、伊之助はこう述懐する。

店の格とは何か。加賀様、公方様の御台所に出入りしていることか。江戸の一番の高級品を扱っていることか。
そうではないだろう、と伊之助は思った。商いは、人の喜ぶ顔を見るためにするものである。人が喜び、喜ぶ人の顔を見ることで自分も喜ぶ。それが商いの醍醐味である。店の格とは、喜ぶ顔の多さなのだ。お屋敷のお殿様が喜び、お女中衆が喜ぶ。長屋のおかみさんが喜び、疲れて帰ってきた亭主が喜ぶ。その喜びはみな等しなみである。店の格とは、虚心坦懐に客の笑顔を喜ぶ気持ちの深さのことである。

理想論に過ぎるような気もするが、ここに本書のテーマが集約されている・近江商人は「売って良し、買って良し、世間良し」の「三方良し」を商売のモットーにしていたそうだが、良いモノが合理的な価格で売買されて客が喜び、それで利益が得られて商人が喜び、世の中がよくなればこんなにいいことはない。

伊之助の痛快な人生が、やや皮肉げでユーモラスな筆致で描かれ、個性的な周囲の人物とのからみなども楽しい時代小説である。



ところで、荒俣宏の「男に生まれて」も、幕末のにんべん主人高津屋伊兵衛を主人公に日本橋商人の心意気を描いた快作である。

ねじめ正一の父親は乾物屋で、地元の結婚式場に結納用の鰹節を納入していたが、仕入れ先をにんべんに切り替えられたそうで、ねじめ正一は逆ににんべんに興味を持ったとか。上記の「男に生まれて」が先に出版されたので、しばらく時間を置いたという話を読んだような気がするが、定かではない(汗)。間違っていたら申し訳ありません。