本・花・鳥(ほん・か・どり)

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さよなら李さん

李さんが先月逝去された。


亡父は日本の植民地だった朝鮮京城(現韓国ソウル)から戦後に引き揚げてきた。日本人子弟のための旧制中学に現地の子弟も入学しており、戦後にも同級生としての付き合いが続いていた。


李さんは韓国側同窓会の会長で、日本側同窓会会長の亡父と親交があり、訪韓のたびに親切にもてなしてもらったようだし、李さん訪日の際には同級生が集まって世話を焼いていたものだ。


李さんにお会いしたのは父の生前は二度ほど。運転の出来ない父に代わって車で鎌倉などを案内した。


父はインターネットもパソコンも出来なかったが、李さんはこの手のものが得意で、自分とメールのやり取りをするようになった。植民地時代に育ったので日本語も堪能だが、パソコンの入力は出来なかったようで、英語でメールを受け取り、こちらは日本語で返信していた。


5年前、ソウルに招待するから訪韓するようにと旅費を送ってくれた。母の世話があるからと一度はお断りしたが、せっかくのチャンスであるし、都合を調整して訪韓することが出来た。


この時の旅日記を下記にまとめている。
https://suijun-hibisukusu.hatenablog.com/search?q=%E3%82%BD%E3%82%A6%E3%83%AB%E9%A7%86%E3%81%91%E8%B6%B3%E8%A8%AA%E5%95%8F%E8%A8%98


2泊3日の訪韓で、初日と二日目に李さんは食事に連れて行ってくれる約束だった。91才にして車を運転し、スマホもカーナビも問題なく使ってしまうスーパー高齢者が、ソウル市内をドライブしてソルロンタンやククスを御馳走してくれた。


李さんの住むのは漢江の南側で、江南という高級住宅地地域である。ソウルの中心部まで15kmほどあり、初日も二日目も車で迎えに来てくれたが、二日目などは江南からソウル二往復と60kmも運転してくれた。江南のロッテタワーに連れて行ってくれたので、近くの駅で降ろしてくださいと言ったのだが、名残だからと宿まで送ってくれたのだ。


そして、「また会いましょうよ」と言うのに対して「ット マンナシプシオ(また会ってください)」と拙い韓国語で返して握手したのがお別れだった。また会いに来ようと思っていたが、老母のこともあって叶わず・・・。コロナがなければ昨年くらいには会いにいけたかもしれない。


ソウル旅行後、メールに替わってカカオトーク(韓国版のLINEのようなソーシャルメディア)で、やり取りしていて、11月に箱根の写真を送ったの対し、子息から「父は天に召されました」という返信があり、逝去を知った。


優しい目で微笑む素敵なオルシン(高齢者に対する敬称)だった。さよなら李さん。ご冥福をお祈り申し上げます。