本・花・鳥(ほん・か・どり)

本とか植物とか野鳥とか音楽とか

脊梁山脈/乙川優三郎 

戦後、中国から復員した青年が自分の進む道を模索しながら木地師の系譜を探るという伝奇的な筋立ての現代物(戦後を描くのが現代物と言っていいのか分からず、虚構の世界とすればやはり時代小説ということになるのだろうか)。流浪民好きとしてはなんとも魅力的な題材である。

復員列車の中で体調不良に苦しんでいた矢田部信幸は、小椋康造という青年に介抱を受け、束の間の交流を持つ。木地師の小椋は、戦争中の苦難を離れ、山の中でひっそり暮らすと言い残して列車を降りていくが、この青年の清冽さが矢田部の印象に残り、やがて木地師探索への旅へと赴くきっかけになる。

故郷に戻ると父は亡くなっていて、没落した生家で母が細々と暮らしており、畑仕事を手伝いながらぎりぎりの生活をしていたが、伯父の財産を受け継ぐことになった矢田部は生活の苦労がなくなり、小椋康造の消息を尋ねるうちに木地師の世界に魅了されていくのだった。

木地師のルーツは近江の君ヶ畑にあり、隠棲した惟喬親王が技を伝えたとされている。こけしもまた木地師の作品であり、東北へも近江から広がった木地師の系譜を認めた矢田部は、なぜ奥羽山脈に沿って木地師が流れていったかを考察し、やがて古代の政争へと想像の翼を広げていく。中世の流浪民好きとしては、近江の宗家が東北の木地師を把握して冥加金のようなものを徴収していた氏子狩りに伝奇的興味を感じて興奮するが、古代史にまで風呂敷を広げられるとちょっと追いつけない感もあるし、著者の政治的主張まで感じられて鼻白む。十分に興味深い話なのだから、ここまでにしなくとも、と思ったが、余計なお世話か。

矢田部を巡る二人の女性が活写されている。多希子は木地師の娘で、ひっそりとたおやかながら強い芯を持つ。戦後の東京で逞しく生きている佳江は生意気で強情で矢田部に対しても時に批判的だが、自分で人生を切り開いており、苦労してきた分だけ芯に清らかな部分を持っている。多希子と対照的に描かれているが、共に矢田部に強い影響を及ぼすのである。

戦後の復興期、景気のいい話が飛び交う中、自分はどう生きればいいのかと模索している矢田部だが、著者は山本周五郎藤沢周平に系譜に連なる作家だから、そういう人としての誠実さが読んでいて心地よかった。やや重たいエンディングも、単なるハッピーエンドに陥らず重厚。