本・花・鳥(ほん・か・どり)

本とか植物とか野鳥とか音楽とか

ノボさん 小説 正岡子規と夏目漱石/伊集院静 

文庫化にて再掲(使い回しとも言う(笑))。



副題にある通り、子規と漱石の交友を中心に、子規の青春から死までを描いた評伝小説である。ノボさんとは、子規の本名正岡升(のぼる)から取られた子規の愛称で、年上に一目置かれ、年下から慕われる、気持ちのよい青年を一言で表しているてタイトルだ。

冒頭、まだ病を得る前、子規はべーすぼーるに熱中する闊達な学生として登場する。開けっぴろげで人好きがして、まさに秋空の野球場のように晴れ晴れとした好青年だ。勉学の方は今ひとつだが、幼少より学んできた漢籍の知識は広く、短歌、俳句、小説、浄瑠璃、落語と、文芸に対する興味は幅広い。そして、学内で知り合った夏目金之助と落語の話題で意気投合すると、終生変わらぬ友情を結ぶのである。

子規の人間性が面白い。人付き合いを好む陽気な青年であり、人と会うときには全身で喜びを表すので、相手の方も益々子規を好きになるのだが、嫌いな人間はとことん冷淡にもなれるらしい。

子規と漱石の友情はつとに有名なところで、漱石の松山の下宿に子規が居候したという有名な逸話もある。謹厳実直な漱石に対し子規は明朗で大雑把であるが、通底するものもあり、この二人の描き方がとても心地よい。

この他にも、内藤鳴雪高浜虚子河東碧梧桐伊藤左千夫寺田寅彦中村不折など、時代と場所を同じくして多くの才能が花開いたのだなぁと感慨を持つ。

伝統的な短歌や俳句を系統立てて分析し、再構築して明治の文芸として世に出した子規の業績はあまりにも大きい。そして自身も優れた歌人俳人であった訳だから、研究者・創作者とと、共に抜きん出ていたということだろう。ホトトギスアララギ、文芸における二大潮流が子規の影響のもとに生まれているんだからなぁ・・・。

結核から脊椎カリエスを併発した子規の闘病については有名なところで、文芸道に邁進する闊達な青年が最初に喀血したあたりからもう壮絶な最期が想像されて読み進めるのがためらわれるが、寝たきりでの闘病があったればこそ、あれだけの大業を成し遂げたのかもしれぬ。それにしても痛々しい最期であり、子規にとっては一種の解放であったのかもしれないとも思う。子規、というペンネームがホトトギスに由来することは知らなかった。「鳴いて血を吐くホトトギス」の洒落であり、結社名もそういうことだったんだなぁ。一種の自虐ギャグではあるまいか。

ホトトギスと言えば、高浜虚子の子孫が世襲する伝統俳壇の頂点である。虚子は子規からホトトギスを託されたのだと思っていたが、最初から運営に関わっていたらしいことを本書で知った。経営の才もあって人気結社に仕立てあげたのだろうが、それゆえに子規の弟子たちから浮き上がっているように見える。虚子についは、優れた俳人であると同時に俳句界を形成したフィクサーという言及を読んだことがあり、本書での虚子の描写もなるほどこういうことだったのかと思わせた。 

それにしても本書の構造は、人物たちの行動を描きつつ、子規・漱石の事跡についても詳細な解説があり、なんだか司馬遼太郎歴史小説っぽい。それはそれで面白かったが、純粋に明治の青春小説として読みたかったような気もする。