本・花・鳥(ほん・か・どり)

本とか植物とか野鳥とか音楽とか

書楼弔堂 破暁/京極夏彦 

維新から二十年も過ぎる頃、奇妙な古本屋に現れる顧客と店主の会話によって構成される明治開化古書小説である。

語り手の高遠は大身旗本の末裔で、家族の住む屋敷から離れ、東京郊外で療養生活を送る遊民(廃者(すたりもの)を自称する)である。中途半端なインテリのひねくれ者で、物語は高遠の滑稽な語りによって進行するが、漱石坊っちゃんのような感じだろうか。

高遠が療養する郊外に、弔堂(とむらいどう)と称する古本屋がある。広大な建物に膨大な書物を集めており、還俗した出家である店主は、人生で出会う大事な本はただ一冊であり、自分の集めたうちただ一冊ではなかった本を商っているのだが、本の内容とは読み手によって立ち上がってくる幽霊の如きものであり、本は墓碑であり、読み手と出会えた本は成仏させることができるので弔堂なのだとか。

弔堂には、月岡芳年勝海舟、中濱万次郎に従う生ける死者のような世捨て人、泉鏡花井上円了など、明治の偉人が続々と訪れる。皆何か鬱屈したものを抱えていて、弔堂との長々した会話を経てただ一冊の本を手渡され、事態の何らかの解決を見るという、カウンセラーのごとき古本屋なのだが、会話の中で浮き上がってくる問題点を弔堂が指摘していくあたりはやっぱり謎解き感があるし、そういう点では安楽椅子探偵小説と言えるかもしれない。だとすれば、語り手高遠が傍観者であるのも先例通りであるかも、と思う。

やや冗漫な会話に退屈することもあるが、なんだか不気味さでわくわくさせる、いつもの京極ワールドである。