本・花・鳥(ほん・か・どり)

本とか植物とか野鳥とか音楽とか

わが母の記/井上靖

老耄状態の母親と接しながら、老いを迎えるとはどういうことか、母の頭の中はどうなっているのかについて冷徹に描写した私小説である(著者は「随筆とも小説ともつかぬ」と言っている)。

介護保険制度など影も形もない四十年ほど前、同じ言動や不可解な行動を繰り返す母は、主に著者の妹が面倒を見ていたが、その時々の状況によって別の家に預けられたりする。家族にとっては大変なトラブルでありつつも、それぞれが親身になって母親を介護しており、その描写は時にユーモラスであったり、家族愛を感じさせたりもする。少しずつ若返って自分の人生をあるところから消去し始めたのではとか、家族すら誰だか認識でないような状態は、名簿に線を引いて不要な人間としているのではないかとか、弟妹やその配偶者や孫たちと語り合う場面は、それはそれで老いの状況をつぶさに伝えているが、冷静かつ端正な文章で綴られていると、母親についてここまで文学的に書いちゃうかなぁとやや鼻白んだ気分になる。

中学生の頃から著者の自伝的青春小説「夏草冬濤」「北の海」が好きだった。中伊豆育ちの著者は、沼津・三島で旧制中学時代を送っているが(旧制沼津中学→現・沼津東高は当時も今もエリート校であるらしい)、三島郊外に自分の祖父母の家があったので、出てくる地名に馴染みがあって興味深かったし、何より闊達でユーモラスで楽しい少年小説だったのである。

この二作の前作品になる「しろばんば」を含め、主人公は伊上洪作少年である。「わが母の記」が映画化された時も主人公の名前が伊上洪作なので、てっきりあのシリーズに連なる自伝物かと思ったが、全然趣の違う作品だった。洪作少年のシリーズは三人称であるのに対し本作は一人称だし、映画の宣伝で見た一場面のように、主人公が母親に恨み言を言うシーンもない(あの恨みは、幼少時に遠縁の老女に預けられていたことによるものか?)。映画化にあたっておそらく洪作少年のシリーズも念頭に脚色されたものなのだろう。あれを見たら物故した著者はどう考えるやら・・・。