本・花・鳥(ほん・か・どり)

本とか植物とか野鳥とか音楽とか

トラオ 徳田虎雄 不随の病院王/青木理 

文庫化にて再掲。しかしこの時期の文庫入りってなかなかタイムリーだな。やっぱりあの事件のせいなのか?




一代で病院帝国徳州会を築き上げ、現在はALS(筋萎縮性側索硬化症=全身の筋肉が衰えて自発呼吸すら出来なくなる難病)を患いながら、目で文字盤を追うことで全国の徳州会に指示を出し、未だに病院帝国を支配する傑物・徳田虎雄徳州会理事長の評伝である。

「命だけは平等だ」「24時間年中無休」などを合い言葉に全国にチェーン展開(と申しても良かろうか)する徳州会は、徳田理事長のキワモノ的な存在感も相まって、地元の医師会との摩擦が絶えないらしい。無手勝流の病院展開は地域医療の秩序を破壊するというのが医師会の言い分で、確かにそういう面もあるのかもしれないが、これだけ巨大に成長したと言うことは、顧客(患者)のニーズを掴んで的確なサービス(医療)を提供してきたからではあるまいか(救急車を断らないとか、入院の保証金を取らないとか、他の病院ではあまり考えられない)。

徳田虎雄の出身地徳之島は、戦後、米軍の占領下に置かれ、本土との交流は禁止されて壮絶な経済的困難と医療過疎の状態になったらしい。大したことのない病で弟を失った徳田はこの状態を打破するために医師となり、過疎地に病院を作り続けることで医療格差をなくしていくことを生涯のモットーとしたそうだが、この志は現在も生きていて、病床にありながら途上国への病院展開を考えているという。

それにしてもものすごい猪突猛進ぶりである(傍若無人や天衣無縫という形容詞を添えても良い)。「目的は手段を正当化する」という決まり文句があるが、総理大臣となって医療改革を成し遂げると本気で考え、そのための凄まじい選挙運動も徳田にとっては「正しい手段」だったらしい(ライバルの保岡興治の頭文字を取って保徳戦争と呼ばれたらしいが、選挙のたびに機動隊が出張ってきたとか)。今回の息子の件も似たようなものなのだろう。

政治的には保守系無所属ということになっているが、徳州会は大きな票田なので、その時どきで色々な立場を取るとか。政治家になった当初、社民党から立候補した阿部知子が湘南鎌倉の小児科部長だったことは地元では有名な話で、阿部知子に言わせると「理事長の政治的立場は自由」だそうだ。この「自由」とは、自由主義ではなく、平等な医療のためならどんな立場でも執りうるという融通無碍さを表しているのだろうと思わされてしまう。
 
経営の才もあったのだろう。バブル崩壊後、巨額の負債のために銀行に経営権を握られそうになると(過疎地の病院を閉鎖するよう迫られたとか)、海外の証券会社と組み、資産を証券化して巨額の融資を受け、銀行に全額返済してしまう。しかも、巨額の融資先が欲しい銀行から有利な条件を取り付けて再び借り換えた途端にリーマンショック。先を読む勘が凄い。

巻末で徳州会における宗教臭について触れられている。実は徳田理事長が闘病生活を送っている湘南鎌倉総合病院(三年ほど前に新築移転し、現在は徳州会の旗艦病院とか)には自分も世話になるのだが、各所に徳田理事長のPRが掲示されているのを見ると、確かに個人崇拝を強要する新興宗教っぽさ、或いは「偉大なる将軍様」を推戴する某国とかに共通するものを感じる。受付には「小医は病を癒し、中医は人を癒し、大医は国を癒し、徳州会は世界を癒す」という文言と共に理事長が微笑んでいるポスターが貼られているし・・・。しかし、情熱的にひとを駆り立てる人間をカリスマというならば、この人などは正にカリスマなのではなかろうか。最上階の療養室から徳州会の全病院の会議中継を視聴し、時には夜中の救急を車椅子で視察に来ることもあるという(いつか生の姿を拝見したいものだ)。それだけの影響力を及ぼすなんて、なかなかスゲー人だなと思う。

地元医師会との軋轢について考えると、現在は沖縄徳州会を名乗っている湘南鎌倉総合病院も、以前は違う医療法人名だった。直に徳州会を名乗ると何かと面倒なのでという話を聞いたことあるが、真相はどうだったのだろう。

家族に対してはかなり暴君であったらしいが、家父長的な権力と行動力で領土を拡大する戦国武将っぽいなぁ、などと思う。政権交代後、普天間基地の県外移設を画策する政権が徳之島を候補地のひとつに挙げ、首相が闘病中の徳田虎雄に挨拶に行ったという報道は記憶に新しいところだが(本書でもその顛末が詳細に記されている)、当時、徳之島においてそれほどの影響力を持っているのか、まるで領主だなぁと思ったのは間違いではなかったようだ。

徳田虎雄の傑物ぶりについては以前から少なからず興味があったので大変に興味深く読了した。自分の不整脈が小康状態なのも湘南鎌倉総合病院のおかげだし、せめて現状のまま頑張って欲しいものだ。