本・花・鳥(ほん・か・どり)

本とか植物とか野鳥とか音楽とか

光圀伝/冲方丁

水戸黄門として知られる水戸徳川家二代目光國の生涯をつぶさに描いた評伝小説である。かつて国民的人気を誇った時代劇の好々爺とは異なり、何とも血気盛んで猛々しい光圀像が描かれて新鮮(著者の「天地明察」に登場する光圀を想起されたい)。冒頭、光圀が家老を刺殺するというショッキングな場面から物語は始まるが、なぜそこに至ったかということを、光圀の成長と共に描いていくのである。

幼少の光圀はやんちゃ坊主である。七歳にして斬首にされた武士の首を運びながら舞いを舞っている(笑)。二男なのに世子というのは複雑な事情があるのだが、文人気質の兄を馬鹿にしつつやたらと対抗心を燃やし、相手にされず悔しい思いもする。水戸徳川家初代の順房はやたらと子供に対して厳しく、お試しという冷酷な試練を課していくが、この親子関係もなかなかに興味深い。

仏教嫌いの父に似て儒学を信奉する光國は、二男の自分が世子であることに煩悶を抱き、市井で暴れ回るなど、無頼な青春時代を送っている(このあたりが史実と異なる漫遊記の由来であろうか)。父を始め、尾張義直、紀伊頼宣の御三家初代はみな戦国武将の器量を持て余しているような勇猛な男たちであり、光國もまたそれを受け継いでいる。しかし徳川幕府の基礎を築くというのも御三家の責務であり、その葛藤もなかなかに複雑だ。

また、光國は詩歌や文芸に秀でており、朝廷や公家とその方面での交流がある(文事で天下を取るという野望を抱いてもいる)。文通によって交友のあった冷泉為景とただ一度邂逅する場面などは、大らかなお公家さんの感情の表出が何とも微笑ましい。

仏教嫌いの光國は、そこらの飲み屋で坊主を論破するのを楽しみにしていたが、ある日、ひねくれ者の儒者からこっぴどく論破されてしまう。これこそ林羅山の二男読耕斎で、悔しがりつつその資質を見抜いた光國は、自分の臣下に招き、ここにも一種の友情が育まれる。そして、光國の後半生は、義の実現と、藩経営に邁進することになるのだった。

義を通すことに命を懸けた光圀の、凄まじいまでの生涯を痛快に描いた傑作である。友情、夫婦の情愛(帝の血筋に連なる妻女の天然ぶりはいかにもライトノベル出身の著者らしい(笑))、親子の相克など、人の思いも丹念に描かれて読ませた。