本・花・鳥(ほん・か・どり)

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リアスの海辺から 森は海の恋人/畠山重篤 

著者は気仙沼舞根(もうね)湾の牡蠣養殖をする漁師。海の幸のためには流の森林を豊かにすることが大事だということで「森は海の恋人」という植林活動をしている人だ。以前から著者のことは知っていたが、この本については全然知らず、たまたま図書館の棚にあったので手に取ってみた。15年ほど前に上梓されたエッセイだが、震災以降、三陸のことは何かと気になるのだ。

本書の前半は、子供の頃に自分で漁をしたこと、海草摘みと松茸穫りで子供を育て家を建てた女傑の話、石巻へ種牡蠣を買いに行く父親に同行した際に食べさせて貰った天然うなぎ(当時の石巻ではよく穫れたという)が美味だったこと、潜りさまと呼ばれる潜水業の古老の話など、三陸の豊かな海のことが語られている。著者の幼い弟は蟹が大好物だったそうで、穫ってきた掻き込むシーンなど、魚貝嫌いの自分でも思わず美味そうだと思わずにいられないような描写力である。うわぁ、この人は名文家なのだなぁと感心した。

潜水夫がさま付けで呼ばれるのは遺体の捜索と言う大事を担当するからだそうだ。岩手県三陸地方で、伝統的に南部潜りと呼ばれる潜水業が地場産業になっていることは聞いたことがあるが、気仙沼あたりも同様なのかもしれない。遺体の捜索と言うとどうしても震災のことを思い浮かべずにいられないが、おそらく今回も多くのもぐり様が活躍したのだろう。

森は海の恋人運動もそうだし、二十歳そこそこで三陸での帆立貝養殖に初めて成功した逸話などを読んでいると(青年の生き生きとした野心が爽快)、この人はベンチャー精神に富んでいるんだろうなぁと思う。海には所有権が生じないそうだが、石巻万石浦に、塩田が崩れて海になっている浅瀬があり、そこを買い取って浅蜊を育てた話しなど、まるでダッシュ海岸のようで何とも面白そうだ。そして海の生物が豊かならば、それを餌にする水鳥も多く集まるのだろうなぁと思ってしまうのが鳥好きである(笑)。

後半は、リアス式海岸の本場スペインを訪ねる旅の記録で、聖ヤコブのシンボルが帆立貝であることに着目して、帆立貝、そして豊かな海と森との共通性に驚きながら旅路をたどっているが、司馬遼太郎の名紀行エッセイにあやかって「貝道をゆく」とは何ともしゃれているではないか(笑)。そしてスペインのリアス式海岸もなんとも豊かなのであった。

唐桑半島の景色が見たいなぁ。以前は気仙沼まで石巻(父祖の地)から鉄道で行けたようだが、被災後は登米あたりからBRTが運行しているらしい。