今様(白拍子、傀儡師など、中世の芸能民や下層民に歌われる俗謡)を好んだ後白河法皇が編纂したと言う梁塵秘抄には以前から興味があり、光文社古典新訳文庫に入ったので読んでみたが、「飛ぶ教室」同様にどうも古典新訳文庫とは相性が悪い。
今様とは当世風・現代風と言った意味合いだから、これを通俗的歌謡曲であると捉えるのは分かる。しかし著者の独断によって和讃の仏を「愛しいあなた」に換えてみたり、現代の事物・芸能人名などを付け足してみたり、どうにも安直だ。
「仏は常にいませども 現ならぬぞあわれなる 人の音せぬ暁に ほのかに夢にみえたまう」→「いつでもいるわ わたしのいいひと 見えなくても 触れなくても ひとごとさえも 消えはてて わたしにわかるの 夜明けの夢に こっそりと」など、どうにも薄ら寒い。
「恋しとよ君恋しとよゆかしとよ 逢わばや見ばや見ばや見えばや」→「恋しいの いとしいの 恋しい恋しい いとしいの 好きよ 好きなの あなただけ 逢いたいの 抱きたいの 逢いたい 抱きたい 抱かれたいのよ あなただけ」
俗謡といえども古典であるからどこか原文には雅なニュアンスが漂うし、省略の効いたリズム感も心地よいが、この現代語訳はどこまでも安っぽい。おそらく訳者の考える流行歌とはこの程度の物なのだろう。なかにし礼や阿久悠の作品を考えれば、現代の今様はもっと情念的で深みがあったはずと思えてしまう。
光文社古典新訳文庫の考える現代語訳とはこの程度のものなのか。どうにもこのシリーズとは相性が悪い。
余談だが・・・。普段は見ない大河ドラマをたまたま見かけてしまったとき、後白河法皇が何やら和旋律を歌っていて、後白河だから今様かと認識したが、童謡くらいにしか聞こえなかった。もうちょっとそれらしくして欲しかったなぁ。
とは言いつつも「それ」がどんなものかは知らない(笑)。