本・花・鳥(ほん・か・どり)

本とか植物とか野鳥とか音楽とか

凍/沢木耕太郎

世界的なクライマーである山野井泰史・妙子夫妻の超絶的なサバイバルと再生を描いた山岳ノンフィクション。

ヒマラヤの高峰であるギャンチュンガは、高さは8000mにわずかに及ばず、記録にこだわるクライマーからは見向きもされないが、難しいルートにこだわる山野井には挑戦しがいがあるらしい。主に山岳小説や登山家のエッセイで山に関する知識を得ている自分は、世界にほとんど未踏峰が残っていない現在、単独とか無酸素とかルート開拓とかで後世に名前を残そうとするのが登山家の功名心であると思っていたが、山野井泰史にはそういった功名心はなく、スリルと達成感を登山に求めており、他人が登れてしまった山はスリルに欠けるということらしい。エベレストなどは登らせ屋がいて、酸素ボンベはひとに担いで貰い、固定ロープで安全に登れてしまうと言う話で、そこで山野井はわざわざ大変な未踏ルートを極めるという訳だ。山野井の妻妙子も家庭的で質素な生活を愛している女性で、実はかなりの業績を持つ登山家であるが、山に登っていることが嬉しいという似たもの夫婦だ。

登山には、極地法(包囲法)とアルパイン・スタイルがある。昔ながらの登山隊が徐々に高度を上げながらキャンプを設営し、アタック隊員が登攀を果たすのが極地法、ごくわずかな人数が最小限の機材で最短の日数で登頂を果たしてしまうのがアルパイン・スタイルで、山野井夫妻は後者である。日本人はどちらかというと極地法を好み、欧米の先鋭的なクライマーはアルパイン・スタイルだそうで、スピードや記録にこだわる登山家ならば後者の方が効率的であろうし、協調行動より単独行動の方が向いているという場合もあるだろう。

本書のクライマックスは、苦難の登頂と、降下の途中で悪天候や雪崩に遭遇し、二晩ほどのビバークの末に現地スタッフの待つベースキャンプにたどり着くまでの壮絶なサバイバル行である。アルパイン・スタイルに酸素ボンベは無用のようで、薄い酸素の中、体調を崩しながら夫のみ登頂を果たした末、岩壁を這い降り、わずか10cmほどの岩棚でビバークし、凍傷で何本もの指を失いながらとにかく生還してみせる(妻の妙子は以前の凍傷で第一関節から先を失っているが、今回はすべての指を切断することになる)。苦難のサバイバルを経て、一度は山をあきらめた夫婦だが、やがて再生へと至る道筋を描いた顛末が感動的と言えば感動的(難破した南極探検船のサバイバルを描いた「エンデュアランス号漂流/アルフレッド・ランシング」に似た読後感だ)。

ただし、ひとたび遭難すれば周囲のものに大きな迷惑をかける先鋭的なクライミングはやっぱり自分勝手な道楽にも思える。それでしか生きられないのだと言われれば返す言葉はないが。

沢木耕太郎の著作は「深夜特急」といくつかのエッセイを読んだだけだ。「深夜特急」は熱烈なファンが多いが、若者の自分探し的な貧乏旅行ぶりが鼻について、自分はあまり感銘を受けていない。本書の主人公山野井泰史も自分好きな面(山頂を極める自分をイメージする描写がある)が見て取れるので、あるいは打って付けの著者だったのかもしれない、なんて思う。おっとりしていながら強靱な妻妙子が印象に残る。