本・花・鳥(ほん・か・どり)

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放浪行乞 山頭火百二十句/金子兜太

俳人金子兜太が、放浪の自由律俳人種田山頭火の人生の足跡と共に作句の鑑賞を記したもの。

山頭火は、「分け入っても分け入っても青い山」「うしろ姿のしぐれてゆくか」等、特にファンでもない自分でもなんとなく代表句を知っているくらいに巷間有名な放浪者で、熱狂的なファンが多いように思う。あてどない放浪と抒情性に魅力があるのかもしれないが、この放浪は実は決まったパトロンの間を渡り歩いていたという話を聞いたことがあり、そのあたりでどうも興ざめなものを感じていた。

正岡子規がルールを定めた近代俳句は抑制の文芸と言うことになっている。「説明はだめ」「言い過ぎはだめ」というのが通例で、感情の表出は極力抑える代わり、季語にその感情を仮託する。しかし、自分の心情を丸のままに爆発させる山頭火句は抑制とは対極で、そのあたりにも入れ込めないものを感じている。

更に、大酒を飲んでは失敗を繰り返し、自己陶酔と自己嫌悪と自己憐憫を繰り返す筆致には、だめ男ぶりを自慢する私小説家の感じがあって、このあたりも受け入れがたい(どれだけ自分好きなんだ(笑))。しかし金子兜太は、そういう部分にも丁寧に寄り添い、時に批判的になりながらも当時の山頭火の心底を慮っている。兜太は東京帝大から日銀に進んだエリートだが、行乞にあこがれる部分があるらしく、その辺で共感しているのかもしれない。

山頭火には基本的に共感しない自分だが、それでも「雪がふるふる雪見てをれば」「ふとめざめたらなみだこぼれてゐた」「うれしいたよりが小鳥のうたが冴えかえる」等、時にその孤独や歓喜に胸打たれる句もあったりして、このあたりがこの放浪詩人は上手いというか狡猾と言うか・・・(笑)。 

己をさらけ出して、さらに道化となっている感じもあり、その辺で太宰治と似通うものがあるのかなぁ、だから日本人が好むのかなぁと、太宰嫌いの自分は思ったりする。それにしてもその作句はつぶやき的で、今に生きていたらツイッターにはまったんじゃないだろうか(笑)。