本・花・鳥(ほん・か・どり)

本とか植物とか野鳥とか音楽とか

坊主のぼやき/川西蘭

ナイーブな青春小説を書く作家というイメージの川西蘭の作品は若書きの「パイレーツによろしく」くらいしか読んでいないのだが、ただれた三十代を送って心身の調子を崩し、仏教に救われて浄土真宗の僧侶となったらしい。その新米僧侶の苦労などを軽口交じりの文体で綴ったエッセイだが、「生活と共にあるべき宗教」について考えさせられる。

一般のひとにとって、仏教は僧侶は葬儀の時くらいしか接触しない。葬式仏教とか葬式坊主とか呼ばれる由縁である。しかし、浄土真宗のありがたさを身を持って知る著者としては、仏道実践の場として、また仏縁を尊ぶ場として、喜んで葬式坊主と呼ばれたいそうだ。正座が出来ない苦労など、笑わせる部分もありつつ考えさせられる仏教エッセイだ。

仏教には大まかに大乗と小乗があり、素人考えでは衆生を救うのが大乗で、修行者のみの覚醒を求めるのが小乗だろう。その点、阿弥陀信仰の浄土真宗などは大乗の最たるものではないか。修行などは必要なく、特に信仰はなくても阿弥陀如来は万民を救ってくれる。念仏を唱えるのは救済されるからではなく、感謝の気持ちなのだ。

中世まで、漁師やマタギなど、殺生をすることで地獄に落ちることを覚悟するしかなかった庶民に、誰でも極楽浄土に行けると説いて救済したのが一向宗である。「他力本願」というと人任せのイメージがあるが、阿弥陀を信じ抜くというのも心の強さが必要なのだろう。ただし、信長との戦いで、「退かば地獄」などとほざいて戦死を強いた顕如などは自分の嫌うところである。その点で、庶民の仏教と言われる浄土真宗に今ひとつ嫌悪感を持つのだが、川西蘭が敢えて葬式坊主を目指すという心意気には共感する。