本・花・鳥(ほん・か・どり)

本とか植物とか野鳥とか音楽とか

弩/下川博 

南北朝時代因幡地方、惣村に攻め寄せてくる悪党から村を守ろうと奮闘する農民たちを描いた時代小説である。弩(ど)とは横にした弓を引き絞っておいてフックし、引き金によって発射されるようにした武器で、古代中国から使われ、日本でも出土しているらしい。足軽の武器と軽蔑された鉄砲同様、使いやすいところが侍に受けず、日本には定着しなかったようだ。

因幡の智土師村は荘園領主が相模の称名寺(現横浜市金沢区に存する)となり、雑掌(地頭・代官のような管理人と思われる)として称名寺から梶原性全が派遣されるが、旅の途中で病に倒れ、性全に私淑する私度僧光信が代理として着任する。光信は己を書痴と考えている頭でっかちの若造で、智土師村を桃源郷にしたいなどという浮世離れした理想を持っており、村人にはかなり優しい権力者として登場する。

智土師村の小作百姓吾輔は要領がよく、機転が回るので村の長たちに知恵袋として使われているが、農業よりは商売で身を立てたいと考えており、光信から商売の元手を借りると、一か八か、柿渋と塩の取引に打って出て成功し、村を繁栄に導く。知恵は回るものの思慮分別は浅く、欲は深いが強突く張りではなく、人の良さも併せ持つ吾輔のキャラクターが面白い。かつて楠木正成の郎党だったという流れ者の一党と知り合い、指導者の妹を後妻に貰ったことで運が上向くのであるが、妻女との間に生まれた可愛い気のない娘とのやり取りも笑わせる。

上記までが第一部で、第二部は悪党との攻防戦である。繁栄しはじめた智土師村には称名寺から新たに派遣された雑掌が高飛車に貢(みつぎ=税)の取立てをしようとするが、鎌倉幕府が倒れ、後ろ盾のなくなった雑掌はあたふたと逃げ帰り、以後、無主の状態が続いていた。しかし、繁栄に目を付けた旧主・東(とう)兄弟が残虐な悪党となって貢を要求しており、戦うか従うかで村が割れ、村長となっている吾輔は事態打開のために奮闘するのである。

決してひとを導くほどの器量は持ち合わせない吾輔は、普通のおやじが非常時にがんばっているように見えて好感が持てる。戦慣れした一党を雇い、何とか村を守ろうとするが、さまざまな葛藤が描かれてリアルだ。

現代的な視点で描かれる部分にやや違和感を持つものの、十分に優れた作品である。称名寺に並立する金沢文庫に「智土師村が浪人を雇った」という古文書があったことから着想を得たらしく、そのままでは「七人の侍」のリメイクにしか見えなかっただろうが、流通経済と村人自身の闘いを描き込んだことで重厚さが出たように思う。