本・花・鳥(ほん・か・どり)

本とか植物とか野鳥とか音楽とか

「気は優しくて力持ち」であれば・・・

相撲界が野球賭博騒動で揺れている(ようだ)。というより、マスコミが大騒ぎしているのか。

薬物のように深刻な社会問題となる訳でもなく、被害者がいる訳でもない。それでも、賭博組織との関わりは、私的な胴元を許さない法律と、「国技」とか「品格」とか言う良い子ぶりに照らし合わせると許されないことなのだろう。

それにしても、なぜ品格品格と、力士に品の良さや人格を求めるのだろう。所詮は見世物であり、近代相撲になるまでは、侠気を売りにした一種のアウトロー的職業ではなかったか(「め組の喧嘩」という有名な乱闘事件もある)。

古来、相撲は神事である。神に奉納され、また、力士自体も降臨した神だった。また、吉凶や方策を占ってきたらしい。他方、博奕(気分的に「ばくち」ではなく「ばくえき」と発音したい(笑))も元々占いに端を発した神事であり、ここに相撲と賭博は見事につながるのである(つながらない?笑))。

以上は戯れ言であり、公正なスポーツを教育の一環としている近代の感覚からすれば、運動選手が犯罪に手を染めればそれなりの処罰を受けることになろう。朝青龍が問題を起こす度に「品格」「品格」と非難してきた前例もあるし、今回の問題も処罰を考えなければならないのではないか。まぁ、朝青龍の場合、伝統を軽視していたのが問題だったのであり、また、一般人への暴行事件は有耶無耶になってしまったが、格闘家が素人に怪我をさせてはいかんのだ。

「気は優しくて力持ち」であれば、力士が土俵の外で多少のはみ出し行為をしても非難されるものではないだろうと思う。何もねぇ、合法な賭博がいくらでもあるだろうに、なんで野球賭博だったんだろうか。