本・花・鳥(ほん・か・どり)

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チベット旅行記/河口慧海

黄檗宗の僧侶が明治三十年代に鎖国状態のチベット密入国し、その見聞をつぶさに綴った冒険旅行記の現代語訳抄録である。

河口慧海という名前は、秘境旅行家の先達としてアウトドア旅行記などで名前を見ることがあり、なんとなくは知っていた。チベットに入ったということで密教方面の僧侶だと思っていたが、黄檗宗禅宗)だったとは意外だ。経典を研究する過程で、本当の経典はインドにも中国にもなくチベットにのみ残っているらしいということで、何としてもチベットで入って研究してみたいと思い究め、止める人々を振り切って実行に移したそうである。

インドに何年間か滞在してチベット語を覚え、徐々に準備を整えた上で、さほどの装備もないままヒマラヤを越えてチベットに入り込んだというからその行動力は凄まじい。荒涼とした道を行く僧侶ということで何となく西遊記玄奘三蔵の取経の旅を思い起こしたりもするが、著者にももしや同じ思いがあったのかと思う。暴風雪に巻かれたり、疲労困憊してへたり込んだり、よくもなぁ死ななかったものだと思うし、その凄まじい冒険行の描写は迫力がある。

しかし、明治期のエリート日本人(仏教界ではそこそこに有名だったらしい)の癖なのか、チベット人の文明の低さ、衛生環境の陋劣さ、チベット僧侶の知識のなさを平気であげつらっていることに嫌悪を覚える。こういったことは差別として許されないことである、というような人権思想は当事はなかったのかもしれないが・・・。

シナ人(原文)僧侶としてラサの寺院で修行し、医学にも通じていたため重用されるが、徐々に正体が露見し始めて、再び決死の脱出を試みる。この間、威張りくさる関所の役人を「上にへつらい下をいじめる愚か者」のように書いているが、自分はどうなんだろうと思う。チベット滞在中に世話になった人たちは、日本人に協力したということで投獄させられているし、後に赦免のための運動をしてはいるようだが、何か自分の勝手な思い込みのためには他人を犠牲にしても厭わない人というイメージも受ける。鎖国中のチベット滞在記として貴重な記録ではあろうと思うが、法を犯し、ひとに迷惑をかけてまでなされるべきことだったのだろうか。後に僧籍を離れ、在家仏教を推進する立場だったようだが、僧侶というより経典研究者としての側面が大きかったのであろう。