本・花・鳥(ほん・か・どり)

本とか植物とか野鳥とか音楽とか

大盗禅師/司馬遼太郎

司馬遼太郎は、デビュー当時は幻想味の多い娯楽時代小説を書いていて、近年、それらの作品が文庫に収録されるようになっている。大盗禅師もその一冊で、初出は昭和43年頃らしい。

舞台は三代将軍家光の代になり、徳川体制が固まり始めた頃。摂津住吉の浦で雑用をして暮らしている浦安仙八は豊臣浪人の子で、剣術の腕は立つが中途半端な立場だ。浪人の統制が厳しくなってきており、漁民となるか村を出て行くかを迫られている時、不思議な怪僧に導かれ、亡くなっているはずの豊臣秀頼から駿河守の官位と所領として久能山を授けられる。大濤禅師と名乗る怪僧は徳川体制を潰そうという企みを持っており、日本中から謀反人を募っているオルガナイザーなのだが、禅師の手引きで由比正雪に引き合わされると、アレヨアレヨという間に仙八の人生が転変していくのだった。

剣の腕は買われていても、基本的に自分で考えることをしない仙八は、禅師や正雪に精神的優位に立たれると抵抗できずに服従してしまうのだが、このあたりは人斬り以蔵のイメージに通じるような気もする。

正雪のもとには、日本からの援軍を乞いたい鄭成功の使い蘇一官が来ているが、蘇一官の妖しい術に惑わされると、今度は蘇一官に精神的に操られ、正雪に対しては横柄になるところが可笑しい(笑)。中国に渡り、仙将軍として名を挙げた仙八が、ついに己自身でものを考え始める最終場面が痛快だ。

司馬遼太郎作品の登場人物には、茫洋として器量を感じさせるが、計画性を持たず行き当たりばったりに人生を開いていくタイプ(「尻啖え孫市」の雑賀孫市や「龍馬がゆく」の坂本龍馬、「風神の門」の霧隠才蔵など)や、根拠のない自信を持つ、誇大妄想で自己過大評価で大ぼら吹き(「項羽と劉邦」の劉邦)が登場することが多い。今作品では仙八が前者、大濤禅師や正雪が後者だろう。往々にしてどちらのタイプの主人公にも肩入れできないことが多々だが、今回はそれぞれ生彩があって面白い。仙八の行き当たりばったりな活躍が楽しい通俗娯楽作品である。