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終わり間際のあじさい@鎌倉権五郎神社

数日前、空いた時間に鎌倉長谷の御霊神社(権五郎神社)へ行ってきた。最近、長谷一帯はあじさい名所として売り出しているが、このさほど広くない神社は境内に江ノ電が通っていて線路際にあじさいが植栽されており、「あじさいと江ノ電」のセットで昨今人気があるらしい。盛りの時期には写真を撮るのも順番待ちになるとか(笑)。

下記はウィキペディアより

権五郎神社の創建年代は詳らかではないが、御霊信仰思想の広がりと鎌倉氏による地方開発の展開を考慮すると、平安時代後期であると推定することができる。もとは関東平氏五家の始祖、すなわち鎌倉氏・梶原氏・村岡氏・長尾氏・大庭氏の5氏の霊を祀った神社であったとされ、五霊から転じて御霊神社と通称されるようになった。後に、鎌倉権五郎景政の一体のみに祭神は集約され、祭神の名から権五郎神社と呼ばれた。

鎌倉景政は、平安時代後期の関東平氏の一族であり、鎌倉・梶原・村岡・長尾・大庭の5氏とともに鎌倉武士団を率い、現在の湘南地方一帯の地方開発に従事した。景政はまた、その武勇をもって知られ、16歳の時、源義家の陣営に連なって後三年の役(1083年-1087年)に従軍して活躍した際のエピソードがよく知られている。『奥州後三年記』の伝えるところによれば、景政は左目を敵に射られながらも屈することなく、射手を倒し帰還した。左目に突き刺さった矢を抜こうと、一人の武士が景政の顔に足をかけたところ、景政はその非礼を叱責したと言う。かかる伝承から、志の成就(学業成就、必勝招来)の神徳があるとされる。また、林羅山の考定によれば眼病平癒にも効験があるとされる(『本朝神社考』)。




あじさいはもう終わりかなぁと覚悟していたが、まだ色が残っており、かろうじて鑑賞の余地があった。流行にあやかり、自分も「あじさいと江ノ電」を撮ろうと思って待っていたら、カメラの前にいきなり携帯をかざして割り込む小母さん・・・。慌ててもう一枚写して事なきを得た(笑)。


光則寺は日蓮宗の寺院である。宿谷光則という幕府役人の屋敷跡で、日蓮の弟子日朗が土牢に幽閉されていたが、光則が日朗に帰依して寺院となったもの。花の寺として有名で、特に海棠と鉢植えのヤマアジサイの名所になっている。ヤマアジサイはもう遅かったが、半夏生の白がきれいだった。


鎌倉市章ささりんどうのマンホール。源家の紋所だったとして採り入れたらしいが、確実ではないそうだ。