本・花・鳥(ほん・か・どり)

本とか植物とか野鳥とか音楽とか

放送禁止歌/森達也

ドキュメンタリー監督である著者がかつて番組で採り上げた放送禁止歌について、更に詳細に取材して記したスピンオフのノンフィクション。岡林信康の「手紙」「チューリップのアップリケ」、なぎら健壱の「悲惨な戦い」、赤い鳥の「竹田の子守唄」、つぼイノリオの「金太の大冒険」など、伝説の放送禁止歌が何ゆえ放送禁止となったかが縷々綴られている。

高校時代の著者は、ラジオから流れなくなった歌があることに気づき、権力による弾圧だと勘違いして悲憤慷慨したそうだが、「放送禁止」の正体は自主規制であることが簡単に分かってくる。卑猥、反社会的、差別語が使われているなど、日本民間放送連盟が「要注意歌謡曲一覧」に指定していた事実はあるが(1983年を最後に更新されていない)、これはガイドラインに過ぎず、強制力もなく、実際には各局の自主判断だったという。つまり、実際にクレームが来たわけでもないのに「ヤバいかもしれないぞ」ということで、自己規制してきたのが放送禁止の正体だった訳である。

「竹田の子守唄」は被差別部落に伝わる労働歌をアレンジしたものだが、「在所」という歌詞が部落のことを指しているとされ、それが明らかになった途端、特に差別を助長しているわけでもないのにクレームをおそれて放送で使われなくなったと言うことだ。「これ部落についてじゃないか」「部落についてらしいぞ」「抗議があるかもしれないな」「抗議が来た」というように風説が出来上がっていく。放送禁止とは放送する側の思考停止なのである。前例にならってマニュアル通りにやっていればいいという、表現に携わる者にとってあってはならない事態にはまり込み、更にそれに気付いていないのが現在の放送界らしい。

「竹田の子守唄」は、部落で採譜した音楽家が舞台用にアレンジした物を関西フォークの連中が歌い始めたと言うことで、「翼をください」のB面としてヒットさせた赤い鳥のリーダー(現・紙ふうせん)は、部落の歌とは知らずに歌っていたそうである。事実を知った後もライブで歌うのを止めたわけではなく、レコードにはない、原曲の歌詞も取り入れて歌い続けている(赤い鳥のベストアルバムには収録されていないが、紙ふうせんの「サンジュアム」には収録されているらしい)。あるホームページで聴くことが出来たが、きわめて叙情的な旋律が美しいハーモニーで歌われている。

森達也とデーブ・スペクターとの対談で、アメリカの「放送禁止」について語られているが、性と暴力に関してはピューリタン的な道徳心によって一般的なマスコミでは排除されているそうである(町中にピンクチラシがあふれるなどという事態もないらしい)。「生放送6秒間遅延ルール」というものもあり、何かコトがあった時に対処できるように6秒間おいて放送しているそうだが、これも権力に容喙させないためであり、クレームをおそれての自主規制とはだいぶ違うようだ。

言葉狩りによって差別用語はどんどん言い換えられ、放送中に出演者が口走ると後で訂正とお詫びが入ったりするが、言葉が悪いのではなく、言葉を差別的に使うことが問題なのだと思う。それを忘れ、何でもかんでも排除してきたのが「(幻に過ぎない)放送禁止歌」ということなのだろう。

因みに岡林の「手紙」という歌は知らない。歌詞のみ掲載されていたが、かなりデリケートな問題を扱ってはいるようだ。「チューリップのアップリケ」はおそらく二、三度ラジオで聴いたことがあると思う(放送禁止のはずなのに何故だろう)。「みんな貧乏が悪いんや」というフレーズだけが耳に残っていたが、歌詞を見ると、ほんの少しだけ差別への抗議を思わせる一節があることが分かった。差別を助長しているわけでもないのに、こうやって抹殺されていく歌が実際にあったのだ。

何やら内容の羅列のみになってしまったが、それだけ興味深い事実が多かったのである。面白いと言っては語弊があるが、タブーとして伏せられていたデリケートな問題を赤裸々に伝えてくれた、スリリングなノンフィクション。