本・花・鳥(ほん・か・どり)

本とか植物とか野鳥とか音楽とか

東京駆け足観光その2 招き猫の元祖・豪徳寺

帰路は国道246経由で世田谷方面へ。古刹・豪徳寺が招き猫の元祖であるという話を何かで読んだことがあり、奉納されている招き猫が可愛かったので是非とも拝観したいと思っていたのである(「招福猫児由来」は文末に拙文にて)。

何でも、井伊家の主が豪徳寺の前を通ったところ手招きしている猫がいたので、入ってみると突然雷が落ち、猫のおかげで難を逃れたと感謝したそうだ。以後、井伊家の檀那寺として栄えたという話を聞いていたが、「由来」によるとやや違うようだが、いずれにてしもひこにゃんが猫なのはこれらの故事に由来するのだろう。

豪徳寺は世田谷区役所や税務署に近い。おそらくこのあたりが区の中心地だと思うが、道は狭く入り組んでいる。世田谷の住宅地の道路は元々農道で、細道の一方通行も多く、タクシードライバーでも難渋するという話だ。住宅地から脱出できなくなったタクシードライバーをいかにして救出するかという馬鹿馬鹿しいドラマ「上品ドライバー」で仕入れたネタだが、果たしてどこまで本当なのか・・・(笑)。

で、バスの対面通行は十分に出来る程度の世田谷通りをしばらく行くと世田谷城址公園があり、その奥に豪徳寺がある(世田谷城址公園も見たかったが割愛)。なかなか瀟洒な寺の結構で、もう少し遅れていったら桜が満開で綺麗だっただろう。

20090329164130


招福猫児は招福観音というお堂の横に数段に奉納されていた。大小様々に並んでいる様子がとても可愛らしいが、この猫の数だけ人々の祈りがあるのだろうなぁと思う。

20090329164126


自分は、神仏や人類を超えた存在に対する信仰というものはほとんど(95%ほどは)持たない。ただ、古来、人々が神仏に託してきた思いには粛然となり、ここに5%ほどの信仰心を覚えるのだ。「猫たちの祈りよ、叶え」と思う。

寝たきりになっている叔父の快癒を願い、小さな招福猫児(6cmほど)を買い求めた。大きさによって値段は様々で、尺(30cm?)になると5000円・・・、とても買えないが、金額の多寡によって左右されるならば信心ではない、と思いたい(笑)。


下記の画像が買い求めた2号の招福猫児。緑のお目々が可愛い(笑)。

20090329164128





招福猫児の由来

20090329164125


東京都世田谷区にある豪徳寺は、井伊大老墓所でもあり、昨今は世に名高いが、昔はとても貧乏で、二、三の雲水修行によってようやく暮らしを立てている有様だった。

当時の和尚はとても猫を可愛がっており、自分の食事を削って猫にやり愛育していたが、ある日この猫に「これお前、恩を知るならば、何か良いことを招いておいで」と言い聞かせた。

その後、幾月日が過ぎた夏の昼下がり、表が騒がしいので和尚が何事かと出てみると、五、六騎の節が門前に馬を乗り捨てて入ってきて言うには「我々が当寺の前を通ろうとしたら、門前にうずくまった猫が我々を見て手を挙げ、頻りに招いており、不思議なので入ってみた。しばらく休憩させて欲しい」。

奥へ招じ入れ、お茶を出しているうちに、空はにわかにかき曇り、夕立が降りだし、雷鳴が加わったが、和尚が心静かに三世因果の説法をしたところ、武士は大いに喜び、帰依の念を厚くした。「我こそは江州彦根の城主・井伊掃部頭直孝である。猫に招き入れられ、雨をしのぎ、貴僧の法談を聴かせていただけたことはひとえに仏の因果であろう。以後、よろしくお願い申し上げる」と帰って行かれた、これこそ、豪徳寺が吉運を開いたそもそもである。やがて井伊家御菩提所となり、田畑が多く寄進され、一大伽藍となったのも、猫が恩に報い、福を招いたありがたい霊験によるものであり、この寺をただ「猫寺」とも呼ぶに至った。

和尚は後にこの猫の墓を建て、懇ろに冥福を祈った。後世にこの猫の姿形を作り、招福猫児(まねぎねこ)と称えて崇め祀れば吉運が即座におとずれ、家内安全、商売繁盛、心願成就するとして、その霊験を祈念することを知らぬ人は世にない。