- 作者: 佐野藤右衛門
- 出版社/メーカー: 草思社
- 発売日: 1998/04
- メディア: 単行本
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京都の桜守(さくらもり)佐野藤右衛門氏が桜や庭や来し方を綴った聞き書き。代々仁和寺領の百姓であったものが、寺の庭木の管理などを手伝っているうちにプロの庭師になってしまったというあたり、庭の持つ歴史などを感じさせて興味深い。
京都円山公園の枝垂れ桜の管理で有名な藤右衛門氏だが、桜は仕事ではなく趣味であるらしい。「桜をやる「桜道楽」「桜狂い」という言い回しからもそれが窺え、この人にとって桜は信仰なのだなぁと思う。
それぞれの地に根差した固有の桜文化があったのに日本中が染井吉野だらけになってしまったと嘆いているが、確かに生物には多様性のある方が遺伝子を後世に残すのに有利であるのだから、科学的にもこの論は間違っていない。ただ、染井吉野もそれなりに美しい桜の木であるはずなのだが、鳥も寄りつかないとか、関東でならまだ見られるが、京都に植えても白っぽくて全然美しくないとか、実に攻撃が激しく、そこまで毛嫌いしなくても、と思ったりする(笑)。
庭造りについても、昨今は管理しやすい庭を頼んでくる施主が多いと嘆いている。庭造りには金がかかるもので、庭師に管理させてこそ庭を持つ資格があるということらしい。伝統の庭造りとはそういうものかもしれないが、こちらは枯山水や贅を凝らした庭とは無縁の庶民でただ植物を植えたり抜いたりするのが楽しいだけの人間だから、こういう庭思想とは無縁である。
近代合理主義が職人仕事をダメにしているという精神主義も分からないではないが、やはり現代では仕方なかろうと思う。つまりは伝統の庭造りの危機の時代と言うことらしい。
ただ、自然や歴史や建築や文化など、多様の要素を含む「庭のこころ」についてが非常に興味深く面白かった。