光文社古典新訳文庫版の「飛ぶ教室/ケストナー」について下記のように書いたことがある。
http://lmp.nobody.jp/zakki_chou/06/tsurezure06.html#tobu_kyoushitsu
光文社古典新訳文庫版はとても不自然な翻訳に思えたが、その訳者がこき下ろしている(と思われる)講談社文庫の山口四郎訳を再読してみた。
どの時代に訳されたものか分からないので正確な言及はできないが、確かに訳文が古くさい。「気でも違ったのか」という問いかけや、少年たちの勇猛さをある部族に例えるなど、昨今では多分問題になるような表現も散見される。
話し言葉は登場人物の性格を物語る上で非常に重要だが、光文社古典新訳文庫版は現代の軽薄な中高生を思わせ、講談社文庫版は大正〜昭和の少年小説の趣がある(たとえば、少年倶楽部に連載された佐々木邦のユーモア小説など)。そして大人たちの口調には明治の書生言葉の影響があり、政治的に正しくない表現を差し引いても、格調のある、やや古めかしい文体が物語の舞台設定と良く似合っているような気がするのである。
因みに書生言葉はシャーロック・ホームズ物の翻訳文などに顕著である。「〜かね?」「きみ、〜してくれたまえ。」という口調を思い浮かべてくたまえ(笑)。
飛ぶ教室について検索しているうちに下記のページにヒットした。岩波少年文庫の高橋健二訳と山口四郎訳を比較していて分かりやすいが、光文社古典新訳文庫の訳者が言っている古めかしい翻訳とは、高橋健二訳のことを言っているのかもしれないと思い当たった。下記サイトの管理人氏は高橋訳を高く買っているように思われ、岩波少年文庫版もいずれ読みたいと思う。
http://www.geocities.jp/sansyou_no_kotubukko/tobukyousitu/yamaguchitobu.html