本・花・鳥(ほん・か・どり)

本とか植物とか野鳥とか音楽とか

アキバという公界

ちょっと前のことですでに釈放済みになっているが、オタクの聖地で、過激(お下劣)なパフォーマンスで耳目を集めていた自称グラビアアイドルが逮捕されるというニュースがあった。

確かに、アニメキャラやメイドなどのコスプレーヤーがが目立つ格好で歩行者天国を闊歩し、オタク青年たちのカメラに取り囲まれて通行を妨げている現状を苦々しく思う当局(警察、役所、商店会など)が取り締まりを強化し、ちょっとでも人だかりがあると注意して歩いている。アニメや話題になった動画を集団で踊ったりなぞったりしている映像がYouTubeなどで見られるが、警察の見回りに、蜘蛛の子を散らすようにいなくなる様子もアップロードされていたりする。

上記の自称グラビアアイドルはやりすぎだろうし、取り囲むカメラ小僧(ではなくローアングラーというらしい)も頂けないが、別に猥褻にあたらないような連中まで取り締まろうとするのはどうなんだろうか。郊外型量販店に客を取られ、青息吐息だった電気街が蘇ったのは、こうしたオタクたちのおかげなのではないかと思うのだが・・・。昨今は外国人観光客まで呼べるような名所になっているはずだ。

話は逸れるが、中世史ミーハーとしては、無縁・公界と言った周縁地域に魅力を感じている。朝廷や寺社や商人が支配する自治地域で、犯罪者でもここに逃げ込めば捕縛されることがないという権力不入の聖域(アジール)でもあった。この世と縁が切れていると言うことで、一種の異界だったのだろう。一向一揆寺内町、交易で栄えた堺などがそうだったらしいが、市が栄えたり、大道芸が行われていたりして活気にあふれ、自由を謳歌していたのではないかと勝手に想像し、憧れを持っている。

時代小説作家隆慶一郎の諸作には、宗教者、商工民、職能民、芸能民など、中世以来の流浪民である「道々の輩」が重要なモチーフとして登場するが、彼らの砦である「無縁・公界」の描き方は何とも魅力的だ。隆作品は網野善彦史学を援用していて、その作風は史実をかなりデフォルメしてもいるのだろうなぁとは思うが、つまりは「こうあれかし」という隆慶一郎マジック(=ファンタジー)が楽しいのかもしれない(ついでに言えば鎌倉の駆け込み寺東慶寺も公界だそうだが、縁切り寺=無縁というのは分かりやすい。)

で、話を戻すと、訪れた人がこの世の憂さを忘れ、異人たちとの邂逅を満喫できるアキバやディズニーランドと言った場所は現在の公界ではないかと思うのだ。近代の公権力において、犯罪者がアジールに逃げ込めば手が届かない、などということはあってはならないが、せめてつかの間の公界の雰囲気くらいは残しておいて欲しいものである。