本・花・鳥(ほん・か・どり)

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「悪所」の民俗誌  色町・芝居町のトポロジー/沖浦和光

二大悪所、色町と芝居町の成り立ちを、お得意の周縁・被差別・河原者などを交えて説き起こしている。この手の「道々の者」的な話は大好きなのだが、評論家の小谷野敦は、遊女に聖性を求めるのはファンタジーであると断じているようだ。

芝居の祖である出雲の阿国の芸が遊女歌舞伎だったとするなら、売春も芝居も、同じルーツを持つことになる。芸能・エロス・巫術がひとつものだった中世の白拍子・傀儡女まで遡り、後白河や後鳥羽が、性愛の持つ聖性を求めて卑賤の遊女を寵愛した例を引いているが、改めて説かれてもなぁという気もするし、遊女にそこまでの異能があったのかとも思う。こういう混沌とした時代にはもの凄く魅力を感じるし、周縁の芸能民、商工民の歴史にも魅了されるのだが・・・。

江戸時代、浅草に封じ込められた色町と芝居町だが、信仰の対象である浅草寺があり、見世物・興行小屋があり、いかにも「悪所」の魅力に満ちている。ただ、政道批判でありがちな芝居に庶民が熱中したのは、卑賤の世界に反権力のエネルギーが溜まっていたからだとするのは面白すぎるような気がする。

江戸の婦女子が熱狂した歌舞伎役者も、男達が通い詰めた吉原も、共に幕府の差別政策の対象であり、著者はその辺に反権力のエネルギーを見ているようだが、単に娯楽であり、性欲の捨て所であったような気もする。けれども、三ノ輪に火葬場があり、その手前の吉原で精進落としをしたなどという話もあるから、遊女に浄めを求めたということがあったかもしれない。

明治後の悪所については、永井荷風の例が哀れを誘う。やがて滅びていくものへの哀惜だろう。

著者は、被差別・周縁・芸能・流浪民などをライフワークにしているが、専門の研究者というより愛好家という感じなのだろうか。反権力をより所にするのも、どこか左翼の尻尾めいたものを感じたりする。しかしまぁ、中世の流浪民好きとしては興味深い一冊だった。




この著者には「幻の漂泊民・サンカ」という著作もある。柳田国男などの民俗学者がサンカの由来を中世に求めていたのに対し、幕末の飢饉時に山に逃げ込んだ農民の末裔であると論証していて説得力がある。道々の者的な伝奇性を期待する歴史ミーハー(おれ)にとってはとってはやや物足りない面があったりするが、これはこれでとてもスリリングで面白いノンフィクションだった。