本・花・鳥(ほん・か・どり)

本とか植物とか野鳥とか音楽とか

青い空/海老沢泰久

幕末・明治初期の宗教政策に翻弄される青年を主人公にした時代小説。同時に当時の宗教政策のいい加減さを綿密に描いていて、司馬遼太郎の手法を思わせる。小説以外の情報が羅列されて、その辺やや鬱陶しいが、新しい知識を得ることが出来た。また、青年の流転の人生模様が波瀾万丈だ。

主人公の藤右衛門は、転びキリシタンの子孫であり、5代先まで監視・差別の対象になる「類族」である。寺請制度のために、たびたび布施をしなければならず、そのために肥え太る僧侶や侍を恨んでいるものの、己ではいかんともしがたい百姓だ。親友が巻き込まれたトラブルの解決のために、ろくでなしを殺して国抜けを敢行、新たな人生に踏み出すことになる。関所破りを繰り返す途次、従者に死なれた商家の夫人を助けたことで、そのまま従者になりすまし、宇源太と改名、無事江戸にたどり着くのである。

剣術道場の下男となった宇源太は、本居宣長平田篤胤国学に傾倒している神主の息子塚本と親しくなる。その説くところの純粋の国学神道に啓蒙されるのであるが、このことから流転の人生に放り込まれることになる。さまざまな行く立てがあるが、とにかく希望を感じさせる結末に至ってはいる。

とにかく幕末・明治初期の宗教政策がめちゃくちゃである。寺院に身元保証をさせる寺請制度については教科書的な知識はあったが、この寺請証文を貰うために庶民にとっては大枚を支払わなければならない。親の忌日や花祭りに参詣し、そのたびになにがしかを支払うのである。寺は肥え太り、坊主は俗悪なばかりである。

思えば、父方の本家筋では、墓参りのたびに寺になにがしかを包んでいっていたし、仏事の時に坊主が偉そうな説教を垂れたていたが、要するに江戸時代からの伝統なのだ。

国学というのは穏健右翼な国粋主義だと思っていたが、ここに儒教的な精神はなく、儒仏をともに排斥しているのだそうである。これに儒教的な精神を加え、尊皇攘夷に仕立てたのが長州あたりの主張らしい。明治維新後は、国家神道を推し進め、廃仏毀釈の嵐が吹き荒れたことは知っていたが、熱心な仏教徒にまで神道式の葬儀を押しつけ、寺請の代わりに神社請を作ろうとしている。思想に取り憑かれた権力というのは厄介なものだ。

寺請にしても国家神道にしても、権力と宗教が結びつくとろくなことがない。自分自身は無宗教な人間だが、山川草木すべてに神が宿っているという日本的なアニミズムは好きだ。
御利益などとは関係なく、社があればちょっとだけ敬虔な気持になるような、そんな存在が望ましいと思う。

著者は國學院を卒業し、折口博士記念古代研究所勤務を経ているそうなので、この小説に書かれていることは史実なのだと思う。新たな知識が得られた反面、物語が読みたい者としては、情報の羅列が鬱陶しくもあるのだが・・・。

この作家、私にとってはスポーツ小説の人というイメージだった。「監督(広岡を主人公にした野球小説の名作!)」「F1 地上の夢」というような著作がまず思い浮かぶのだが、元々こういう方面の出身の人だったんだなぁ・・・。